夏目漱石「それから」あらすじが10分でわかる~略奪愛は代助の真実だった

とっかかり文学

はじめに

夏目漱石の初期の作品である前期三部作に「それから」という小説があります。

「三四郎」「それから」「門」の順番で発表された前期三部作の中間に位置する作品です。

この小説、あらすじを申し上げますとすこぶる簡単に言い表せることができるのですが、中身を掘り下げるとどれだけでも深く分け入っていける作品とも言えます。

「それから」は、ずばり明治時代の略奪愛です。

主人公は長井代助という高等遊民であります。つまり、主人公代助は28歳にして仕事をせずに日々暮らしています。ただ仕事がなくてニートをやっているわけではありません。ちゃんと考えがあって、親の金で生活しているのです。明治の相当な教育を受けて、高尚な考えの基に働くことを拒否しているのです。そして、そんな代助が、事業に失敗した平岡という友人が東京に戻って来たところから話が展開します。

物語は複雑に展開して、平岡の細君(妻)である三千代を奪うまでの葛藤と決心、その後に親族から縁を切られるところまでが一つの物語になっているのです。

高等遊民である代助と社会人平岡の問答

「僕は失敗したさ。けれども失敗しても働らいている。又これからも働らく積りだ。君は僕の失敗したのを見て笑っている。――笑わないたって、要するに笑ってると同じ事に帰着するんだから構わない。いいか、君は笑っている。笑っているが、その君は何もないじゃないか。君は世の中を、ありのままで受け取る男だ。言葉を換えて云うと、意志を発展させる事の出来ない男だろう。意志がないと云うのはうそだ。人間だもの。その証拠には、始終物足りないに違ない。僕は僕の意志を現実社会に働き掛けて、その現実社会が、僕の意志の為に、幾分でも、僕の思い通りになったと云う確証を握らなくっちゃ、生きていられないね。そこに僕と云うものの存在の価値を認めるんだ。君はただ考えている。考えてるだけだから、頭の中の世界と、頭の外の世界を別々に建立こんりゅうして生きている。この大不調和を忍んでいる所が、既に無形の大失敗じゃないか。何故と云って見給みたまえ。僕のはその不調和を外へ出したまでで、君のは内に押し込んで置くだけの話だから、外面に押し掛けただけ、僕の方が本当の失敗の度は少ないかも知れない。でも僕は君に笑われている。そうして僕は君を笑う事が出来ない。いや笑いたいんだが、世間から見ると、笑っちゃ不可いけないんだろう」

「それから」より 平岡の主張

高等遊民である代助に対して、平岡は実際に社会に出て苦しんできた。

それを知らないで事業に成功している父親のお金生活をしている代助へのアンチテーゼです。これに対して代助は次のように言い返します。

「何故働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ。もっと、大袈裟おおげさに云うと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。第一、日本程借金をこしらえて、貧乏震いをしている国はありゃしない。この借金が君、何時になったら返せると思うか。そりゃ外債位は返せるだろう。けれども、そればかりが借金じゃありゃしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ちかない国だ。それでいて、一等国を以て任じている。そうして、無理にも一等国の仲間入をしようとする。だから、あらゆる方面に向って、奥行を削って、一等国だけの間口を張っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。牛と競争をするかえると同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。その影響はみんな我々個人の上に反射しているから見給え。こう西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、ろくな仕事は出来ない。ことごとく切り詰めた教育で、そうして目の廻る程こき使われるから、そろって神経衰弱になっちまう。話をして見給え大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考えてやしない。考えられない程疲労しているんだから仕方がない。精神の困憊こんぱいと、身体しんたいの衰弱とは不幸にして伴なっている。のみならず、道徳の敗退も一所に来ている。日本国中何所を見渡したって、輝いてる断面は一寸四方も無いじゃないか。悉く暗黒だ。その間に立って僕一人が、何と云ったって、何を為たって、仕様がないさ。僕は元来怠けものだ。いや、君と一所に往来している時分から怠けものだ。あの時は強いて景気をつけていたから、君には有為多望の様に見えたんだろう。そりゃ今だって、日本の社会が精神的、徳義的、身体的に、大体の上において健全なら、僕は依然として有為多望なのさ。そうなれば遣る事はいくらでもあるからね。そうして僕の怠惰性に打ち勝つだけの刺激もまたいくらでも出来て来るだろうと思う。しかしこれじゃ駄目だ。今の様なら僕はむしろ自分だけになっている。そうして、君の所謂いわゆる有のままの世界を、有のままで受取って、そのうち僕に尤も適したものに接触を保って満足する。進んで外の人を、此方こっちの考え通りにするなんて、到底出来た話じゃありゃしないもの――」

代助は相当な教育を受けていて、学校の成績も良かったそうです。所謂、インテリなのです。

そんな代助は東京帝国大学(東大)を出て小説家になった夏目漱石の主張を代弁しているとも言えます。

ちなみに、これは明治時代のお話です。明治期の青年の主張です。だけど、どうでしょう、「日本対西洋の関係が悪い」という主張は? 元来あった日本の価値が明治時代に転倒しています。当時は、まだ、西洋列強が世界分割を行い植民地が世界中にありました。そんな時期に日本は西洋の文化を急激に取り入れた。それによって現代まで社会が続いています。

電車に乗ると、みんな暗い顔をして疲労困憊ではないですか? 堀江貴文さんはこの状況を「ゾンビ軍団」という言葉で表現しています。「いや、仕事ってそういうものだよ」という人はいると思いますが、果たしてそうでしょうか?

日本人は日本人らしく働いているでしょうか? 西洋の社会形態を取り入れて「道徳の荒廃」も進んでないですか? 明治時代から今の今まで、日本人は元来ある日本人らしくあったでしょうか?

漱石は予言しているようにも見えます。

現在、「働き方改革」や「副業ブーム」など、若い人たちが会社勤めに対して「NO」を突きつけている人が非常に多くないですか?

小説「それから」の本質

漱石が高等遊民と名付けた働かないがニートではない高学歴の裕福な知識人。漱石のほとんどの小説に何らかの事情をもって現れます。小説「それから」では高等遊民である長井代助が、自分の正義の元に友人の平岡の妻である三千代を最終的に略奪愛によって奪います。

あらすじは「高等遊民の主人公代助が友人の妻を略奪愛する話」と一言で片付けられなくもないですが、この小説の本質は「どうして代助が厳しい体裁を備えた社会において、どのような経緯で、どのような理由があって、親友の妻を略奪したのか?」と言うテーマが隠されているのです。

傍からみれば、略奪愛などしなくても良いようなもので、いくらでも他に相手を見つけられる身分を代助は身につけているのです。現に父親と兄と兄嫁に物語のなかで幾度となく、職へ付かなくても細君を貰うように促されています。

だけど、代助は友人の平岡の細君を選びました。そうしなければならない理由が代助にはあったのです。学生時分、平岡に三千代を結びつけたのは代助でした。三千代はこれまた代助の大学時代の友人である菅沼の妹でした。菅沼は事情によって東京に妹の三千代を呼び寄せ下宿に住まわしています。そんな折、菅沼の母親がチフスに罹り、菅沼自身も同じ病気により三千代が残されてしまいます。三千代の父親は困窮しており、三千代を残し北海道に行ってしまいます。

そんな境遇の三千代を代助は、平岡の細君へと縁結びをしたのです。自分の気持ちを偽って。

その気持ちは28歳になって、東京に現れた平岡夫婦との関わりのなかで具現化していきます。代助は、過去がどうあれ三千代でないと駄目だったことに気づかされ、物語はやがて略奪愛へと否応なく舵を切るのです。

明治時代の略奪愛と親族の対処

其所そこに書いてある事は本当なのかい」と兄が低い声で聞いた。代助はただ、
「本当です」と答えた。兄は打衝ショックを受けた人の様に一寸扇の音をとどめた。しばらくは二人とも口を聞き得なかった。ややあって兄が、
「まあ、どう云う了見で、そんな馬鹿な事をしたのだ」とあきれた調子で云った。代助は依然として、口を開かなかった。
「どんな女だって、もらおうと思えば、いくらでも貰えるじゃないか」と兄がまた云った。代助はそれでも猶黙っていた。三度目に兄がこう云った。――
「御前だって満更道楽をした事のない人間でもあるまい。こんな不始末を仕出かす位なら、今まで折角金を使った甲斐かいがないじゃないか」
代助は今更兄に向って、自分の立場を説明する勇気もなかった。彼はついこの間まで全く兄と同意見であったのである。
「姉さんは泣いているぜ」と兄が云った。
「そうですか」と代助は夢の様に答えた。
「御父さんは怒っている」
代助は答をしなかった。ただ遠い所を見る眼をして、兄を眺めていた。
「御前は平生からく分らない男だった。それでも、いつか分る時機が来るだろうと思って今日まで交際つきあっていた。然し今度こんだと云う今度は、全く分らない人間だと、おれもあきらめてしまった。世の中に分らない人間程危険なものはない。何をるんだか、何を考えているんだか安心が出来ない。御前はそれが自分の勝手だからかろうが、御父さんやおれの、社会上の地位を思ってみろ。御前だって家族の名誉と云う観念はっているだろう」
兄の言葉は、代助の耳をかすめて外へこぼれた。彼はただ全身に苦痛を感じた。けれども兄の前に良心の鞭撻べんたつこうむる程動揺してはいなかった。凡てを都合よく弁解して、世間的の兄から、今更同情を得ようと云う芝居気はもとより起らなかった。彼は彼の頭のうちに、彼自身に正当な道を歩んだという自信があった。彼はそれで満足であった。その満足を理解してくれるものは三千代だけであった。三千代以外には、父も兄も社会も人間もことごとく敵であった。彼等は赫々かくかくたる炎火のうちに、二人を包んで焼き殺そうとしている。代助は無言のまま、三千代と抱き合って、この※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)ほのおの風に早く己れを焼き尽すのを、この上もない本望とした。彼は兄には何の答もしなかった。重い頭を支えて石の様に動かなかった。
「代助」と兄が呼んだ。「今日はおれは御父さんの使に来たのだ。御前はこの間から家へ寄り付かない様になっている。平生へいぜいなら御父さんが呼び付けて聞きただす所だけれども、今日は顔を見るのがいやだから、此方こっちから行って実否を確めて来いと云う訳で来たのだ。それで――もし本人に弁解があるなら弁解を聞くし。又弁解も何もない、平岡の云う所が一々根拠のある事実なら、――御父さんはこう云われるのだ。――もう生涯代助には逢わない。何処どこへ行って、何をしようと当人の勝手だ。その代り、以来子としても取り扱わない。又親とも思ってくれるな。――もっともの事だ。そこで今御前の話を聞いてみると、平岡の手紙にはうそは一つも書いてないんだから仕方がない。その上御前は、この事に就て後悔もしなければ、謝罪もしない様に見受けられる。それじゃ、おれだって、帰って御父さんに取り成し様がない。御父さんから云われた通りをそのまま御前に伝えて帰るだけの事だ。好いか。御父さんの云われる事は分ったか」
「よく分りました」と代助は簡明に答えた。
「貴様は馬鹿だ」と兄が大きな声を出した。代助は俯向うつむいたまま顔を上げなかった。
「愚図だ」と兄が又云った。「不断は人並以上に減らず口をたたく癖に、いざと云う場合には、まるで唖の様に黙っている。そうして、陰で親の名誉にかかわる様な悪戯いたずらをしている。今日こんにちまで何の為に教育を受けたのだ」
兄は洋卓テーブルの上の手紙を取って自分で巻き始めた。静かな部屋の中に、半切はんきれの音がかさかさ鳴った。兄はそれを元の如くに封筒に納めて懐中した。
「じゃ帰るよ」と今度は普通の調子で云った。代助は叮嚀ていねい挨拶あいさつをした。兄は、
「おれも、もう逢わんから」と云い捨てて玄関に出た。

「それから」青空文庫より

 

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