夏目漱石「彼岸過迄」のあらすじが5分でわかる~「彼岸過迄」のとっかかり

とっかかり文学

はじめに「彼岸過迄」のとっかかり

注意:ネタバレを含みます

 

夏目漱石を代表する作品というと「坊っちゃん」「吾輩は猫である」「こころ」が上げられますが、他にも魅力的な作品はたくさんあります。この「彼岸過迄」はまさに純文学のなかの純文学、ザ・純文学と言える作品です。この作品は「こころ」同様、人間心理の内面の葛藤やそれらに関する洞察が散りばめられていて、読み進めていくと「うーん、文学だなあ」と唸るような感動があります。

「彼岸過迄」は、まさに人間が誰しも抱えている言葉では言い表せない内面の問題に切り込んでいます。

夏目漱石の小説「彼岸過迄」は、後期三部作といわれる「彼岸過迄」「行人」「こころ」の順で書かれた漱石の晩年の作品であります。

この作品、設定が非常に複雑で、登場人物は10人程度と少ないのですが、それぞれの相関関係や家系図を掴むのに時間が掛かります。今回は、はじめに設定を掴めるように要約して、あらすじを提示したあと、この小説の肝となる部分と登場人物にまつわる話を5つの場面から紹介して、全体像だけでなく「彼岸過迄」のおもしろさを詳しい内容と共に、ご紹介していきたいと思います。

登場人物

田川 敬太郎(たがわ けいたろう)

主人公であり須永の友人。求職中。須永に田口を紹介される。

須永 市蔵(すなが いちぞう)

大学卒業後、仕事はしていない。田口要作は叔父、田口千代子は従妹に当たる。千代子とは付かず離れずの間柄。

田口 要作(たぐち ようさく)

資産家。須永市蔵の母の義理の弟。田川敬太郎の面倒をみることになる。

田口 千代子(たぐち ちよこ)

田口要作の長女。近代的な自我を持った闊達な女性。

松本 恒三(まつもと つねぞう)

高等遊民であり、仕事はしていない。須永市蔵の母親の弟。田口要作の義理に弟。

須永の母

小さい頃より、千代子と婚姻関係を結んで欲しいと市蔵に懇願。

田口百代子(たぐちももよこ)

要作の次女。千代子の妹。

森本

田川敬太郎と同じ下宿に居た男。冒険家。いろいろな地へ赴いている。

高木

百代子の級友の兄。鎌倉で千代子や市蔵と行動を共にして、以後、仕事で中国の上海に赴任。千代子と文通している。

須永家の女中=作(さく)

19歳女性。「須永の話」で登場する。

松本宵子(まつもとよいこ)

松本恒三の幼子。須永市蔵と田口千代子とは従兄弟。千代子が食事の面倒を見ていた時に急死。

小説「彼岸過迄」の設定を掴む

まず、「彼岸過迄」を読み進めていくと、5分ともたずに飽きてしまいます。

というのも、田川敬太郎が大学を卒業して職を探しているというところから始まるのですが、初めに森本という下宿先の男が登場します。このチャプターが物語の伏線になっているですが、正直、始まりは何が言いたいのよくわからず物語が一行に進んでいきません。

森本と敬太郎の話は後述しますが、物語の大まかな流れを初めに提示します。

チャプターは6つあります。

「風呂の後」「停留所」「報告」「雨の降る日」「須永の話」「松本の話」です。

この小説、実質主人公が二人おります。

田川敬太郎と須永市蔵です。

「風呂の後」「停留所」「報告」「雨の降る日」のチャプターでは、専ら田川敬太郎の話になりますが、「須永の話」からは、一転して須永市蔵の視点で、市蔵の従兄弟である田口千代子との煮え切らない恋愛話へと物語が移ります。

そして、主な登場人物はすべて、須永市蔵の親類ばかりです。この中にあって、田川敬太郎は須永の親族たちとは関係ないまったくの他人で須永市蔵の友人という設定です。敬太郎は職を探していて須永市蔵に須永の叔父である田口を紹介してもらい職の斡旋をしてもらうべく田口家と付き合いをしていきます。

つまり、田川敬太郎の視点で、須永市蔵を取り巻く人間関係と田口千代子との関係が明らかになっていくというのが「彼岸過迄」の大まかな設定になります。

敬太郎の話~「彼岸過迄」の前半

「彼岸過迄」の物語は、終盤に須永市蔵の内面独白と千代子や母との関係へと向かっていきます。

では序盤の田川敬太郎が、大学を卒業して職を探している状況から須永の親類との付き合いが始まっていくまでの物語とは何なのか? これは須永市蔵の置かれている状況を説明するための要素を読者に提示することと物語の肝の部分への伏線になります。

「風呂の後」のチャプターで、冒険家の森本と田川敬太郎が同じ下宿先にいて、その関わりについて語られています。敬太郎は大学を卒業してまだ地位(仕事)にありつけない状況にいます。そんな敬太郎と森本が同じ下宿先で風呂に入っている時に、森本と遭遇し話をします。

そんな折り、森本は下宿先から姿を消します。

森本は下宿先の家賃を滞納しており、敬太郎は下宿の大家さんに森本と懇意にしていたことで怪しまれます。その後、森本から敬太郎の元に手紙が来て、現在彼が中国の大連にいることが判明します。

ところで、この後、敬太郎は須永市蔵に田口の叔父を紹介してもらい職の斡旋をしてもらいます。その過程で、この一族と付き合いができていきます。では序盤で森本とのやり取りが続きますが、何故、森本を登場させたのか? それはこの「風呂の後」のチャプターで読者に物語のその後を予期させるための伏線をはるために森本を登場させたのです。

敬太郎にはロマンチックな一面があり、この性質の裏にあるのが漱石流の運命の解釈です。

敬太郎は大学を卒業しており、森本には学がありません。そんな森本には敬太郎が一種、羨むような自由さがあます。そんな森本の蝦夷地(北海道)の開拓の経験や仕事を辞めて勝手気ままに大連に旅だっていったようなことが敬太郎には魅力でした。

この森本が下宿先に置いていった頭に龍を形取ったステッキを敬太郎はもらい受けます。このステッキがある種、神秘的で敬太郎のその後の運命を決定づけるような役割を担います。

次のチャプター「停留所」で、敬太郎は須永に紹介された田口の叔父の言いつけで、ある男を付けて小川町の停留所に向かいました。この男は女と西洋料理屋に入り、食事をして別れていきますが、敬太郎はこの一部始終をずっと付けて会話も部分部分で聞き取り、帰ってから田口の叔父に報告します。

「報告」のチャプターで、田口に報告を行います。敬太郎はわかる範囲で「停留所」での付けた男女のことを田口に話すと、敬太郎のその正直なところを評価されます。付けていたのは田口の義理の弟(田口の妻の弟)であることを田口は白状し、その男に会ってみるかと促されて紹介状を渡されて、松本という男に会いに行きます。

須永の事情と敬太郎から観た須永の親類たち

「風呂の後」「停留所」「報告」のチャプターで、敬太郎は運命の糸にたぐり寄せられていき状況がめまぐるしく変わっていきました。森本と会い、ステッキをもらい受け敬太郎はこの杖に導かれながら「須永市蔵の母親の妹の旦那さん」である田口の叔父を紹介され、ある男を付けるように言いつけられて、今度は松本という男と出会います。松本という男は、「須永の母親の弟」です。

ちなみに「彼岸過迄」を理解するには、物語の序盤から中盤にかけて登場してくる人物の親族関係を理解しないと、この話はよくわかりません。敬太郎の視点から須永の親族の相関図を追ってみてください。

・須永市蔵の母親

・田口の妻

・松本 

この3人が血の繋がった兄弟姉妹になります。

「停留所」のチャプターで敬太郎が、須永の家に訪れた時に、この家に入っていく女性を目にします。この女が須永の従兄弟である田口千代子という田口の叔父の長女であることが後に判明します。田口の叔父には、千代子と百代子という二人娘があり、敬太郎は千代子と須永市蔵の恋仲を疑ります。

ここまでようやく材料が出そろって、須永市蔵の独白である「須永の話」に至ります。

「須永の話」からわかる千代子と市蔵の恋物語~「彼岸過迄」の後半

 

 とにかく僕と千代子の間には両方共物心のつかない当時からすでにこういうきずながあった。けれどもその絆は僕ら二人を結びつける上においてすこぶる怪しい絆であった。二人はもとより天にあが雲雀ひばりのごとく自由に生長した。絆をった人でさえしかとそのはしを握っている気ではなかったのだろう。僕は怪しい絆という文字を奇縁という意味でここに使う事のできないのを深く母のために悲しむのである。
母は僕の高等学校に這入はいった時分それとなく千代子の事をほのめかした。その頃の僕に色気のあったのは無論である。けれども未来のさいという観念はまるで頭に無かった。そんな話に取り合う落ちつきさえ持っていなかった。ことに子供の時からいっしょに遊んだり喧嘩けんかをしたり、ほとんど同じ家に生長したと違わない親しみのある少女は、余り自分に近過ぎるためかはなはだ平凡に見えて、異性に対する普通の刺戟しげきを与えるに足りなかった。これは僕の方ばかりではあるまい、千代子もおそらく同感だろうと思う。その証拠しょうこには長い交際の前後を通じて、僕はいまだかつて男として彼女から取り扱かわれた経験を記憶する事ができない。彼女から見た僕は、おころうが泣こうが、しなをしようが色眼を使おうが、常に変らない従兄いとこに過ぎないのである。もっともこれは幾分か、純粋な気象きしょうを受けて生れた彼女の性情からも出るので、そこになるとまた僕ほど彼女を知り抜いているものはないのだが、単にそれだけでああ男女なんにょ牆壁しょうへきが取りけられる訳のものではあるまい。ただ一度……しかしこれは後で話す方がかろうと思う。

「須永の話」より

須永には複雑な事情があります。

小さい頃より、須永の母親は田口の長女である千代子と市蔵を結びつけたがった。

というのも、須永市蔵とその母親とは血が繋がっていなかったのです。市蔵は他界した父親と下働きの女中との間に生まれた子でした。つまり市蔵と母とは血が繋がっていないということは、千代子とも血が繋がっていない。母親が姪っ子である千代子と息子である市蔵との縁組みを須永が幼いころより望んでいたのは、こういう事情があったからです。

この物語は、「須永の話」によって須永が千代子のことをどのように考えているかが明らかになります。須永は千代子へある種の憧憬を持ちながら、千代子を遠ざけていきます。千代子はというと、須永から語られるところから、煮え切らない須永に対して、いくつかの意味深な態度を取ったり、問いかけをしてきます。

夏目漱石「こころ」の「先生と遺書」でも、このような一人称の語りになっていますが、この小説の「須永の話」にも女の思わせぶりな態度が多く見受けられます。一体、千代子が須永に対してどのような思いを抱いているのかは最後までわかりません。

須永の語りの中に次のような一場面があります。

僕と彼らとはあらゆる人の結婚問題についても多くを語る機会を持たなかった。ただある時叔母と僕との間にこんな会話が取り換わされた。
いっさんももうそろそろ奥さんを探さなくっちゃなりませんね。姉さんはとうから心配しているようですよ」
「好いのがあったら母に知らしてやって下さい」
「市さんにはおとなしくってやさしい、親切な看護婦みたような女がいいでしょう」
「看護婦みたような嫁はないかって探しても、誰も来手きてはあるまいな」
僕が苦笑しながら、みずかあざけるごとくこう云った時、今まで向うのすみで何かしていた千代子が、不意に首を上げた。
「あたし行って上げましょうか」
僕は彼女の眼を深く見た。彼女も僕の顔を見た。けれども両方共そこに意味のある何物をも認めなかった。叔母は千代子の方を振り向きもしなかった。そうして、「御前のようなむきだしのがらがらした者が、何で市さんの気に入るものかね」と云った。僕は低い叔母の声のうちに、たしなめるようなまたおそれるような一種の響を聞いた。千代子はただからからと面白そうに笑っただけであった。その時百代子もそばにいた。これは姉の言葉を聞いて微笑しながら席を立った。形式をそなえない断りを云われたと解釈した僕はしばらくしてまた席を立った。

須永の親族の間でも、須永と千代子の関係に繊細で腫れ物を触るような何かを感じている場面です。須永の母は、市蔵が小さい時分からずっと千代子を貰ってくれということを繰り返して言っていたようですが、他の親族たちはその関係を何となく悟って、なるべくそのことに触れないような態度を取っているのが印象的です。

他の場面で、千代子が風邪を引いて市蔵がそれをみて可憐だと言っているシーンがありました。

その日彼女は病気のせいかいつもよりしんみり落ちついていた。僕の顔さえ見ると、きっと冷かし文句を並べて、どうしても悪口の云い合いをいどまなければやまない彼女が、一人ぼっちで妙に沈んでいる姿を見たとき、僕はふと可憐な心を起した。それで席に着くやいなや、優しい慰藉いしゃの言葉を口から出す気もなくおのずから出した。すると千代子は一種変な表情をして、「あなた今日は大変優しいわね。奥さんをもらったらそういう風に優しくしてあげなくっちゃいけないわね」と云った。遠慮がなくて親しみだけ持っていた僕は、今まで千代子に対していくら無愛嬌ぶあいきょうに振舞っても差支さしつかえないものとあんみずから許していたのだという事にこの時始めて気がついた。そうして千代子の眼のうちにどこか嬉しそうな色のかすかながら漂ようのを認めて、自分が悪かったと後悔した。

千代子と市蔵の関係は、このように親しみのある悪ふざけの掛け合いをしだすことが多いが、ちょっとしたきっかけで千代子が悪態をつくような、市蔵をからかうようなことを言い出す場面があって、この場面でも最後にそのようなやりとりがあります。

千代子は、まだ小さい時に市蔵に描いてもらった絵がある、それを「見せて上げましょうか」と言って、市蔵はそれを断ったが、構わず立ち上がって棚から絵をもってきた。「あなたそれを描いて下すった時分は、今よりよっぽど親切だったわね」と千代子が言いった。

須永市蔵は「それでもよくこんな物を丹念にしまっておくね」

千代子「あたし御嫁に行く時も持ってくつもりよ」

(中略)

「そんな下らないものは持って行かないがいいよ」
「いいわ、持って行ったって、あたしのだから」
彼女はこう云いつつ、赤い椿や紫の東菊を重ねて、また文庫の中へしまった。僕は自分の気分を変えるためわざと彼女にいつごろ嫁に行くつもりかと聞いた。彼女はもうじきに行くのだと答えた。
「しかしまだきまった訳じゃないんだろう」
「いいえ、もうきまったの」
彼女は明らかに答えた。今まで自分の安心を得る最後の手段として、一日いちじつも早く彼女の縁談がまとまれば好いがと念じていた僕の心臓は、この答と共にどきんと音のするなみを打った。そうして毛穴からい出すような膏汗あぶらあせが、背中とわきの下を不意におそった。千代子は文庫をいて立ち上った。障子しょうじを開けるとき、上から僕を見下みおろして、「うそよ」と一口判切はっきり云い切ったまま、自分のへやの方へ出て行った。

千代子の「嘘よ」という思わせぶりな態度と、須永の焦りを窺わせる場面です。

このあと千代子が電話が掛かってきたが声が出ないから市蔵に代わり電話口で喋ってくれと頼みます。千代子が耳に受話器を持ち、須永が代わりに伝言を伝える。千代子がここでずいぶんイタズラなことを言うものだから、須永は千代子に電話を貸せと受話器を取り上げようとしますが、千代子は取らせない。須永は受話器を取ろうとするが、千代子はいやいやをして取らせない。最後に千代子が手早く電話を切って高笑いをするという場面です。

おもしろいですね。明治期にこのような男女のやり取りがったなんて。

 僕は常に考えている。「純粋な感情ほど美くしいものはない。美くしいものほど強いものはない」と。強いものが恐れないのは当り前である。僕がもし千代子を妻にするとしたら、妻の眼から出る強烈な光にえられないだろう。その光は必ずしもいかりを示すとは限らない。なさけの光でも、愛の光でも、もしくは渇仰かっこうの光でも同じ事である。僕はきっとその光のために射竦いすくめられるにきまっている。それと同程度あるいはより以上の輝くものを、返礼として彼女に与えるには、感情家として僕が余りに貧弱だからである。僕は芳烈な一樽の清酒を貰っても、それを味わい尽くす資格を持たない下戸げことして、今日こんにちまで世間から教育されて来たのである。
千代子が僕のところへ嫁に来れば必ず残酷な失望を経験しなければならない。彼女は美くしい天賦てんぷの感情を、あるに任せて惜気おしげもなく夫の上にぎ込む代りに、それを受け入れる夫が、彼女から精神上の営養を得て、大いに世の中に活躍するのを唯一の報酬として夫から予期するに違いない。年のいかない、学問の乏しい、見識の狭い点から見ると気の毒と評してしかるべき彼女は、頭と腕を挙げて実世間に打ち込んで、肉眼です事のできる権力か財力をつかまなくっては男子でないと考えている。単純な彼女は、たとい僕のところへ嫁に来ても、やはりそう云う働きぶりを僕から要求し、また要求さえすれば僕にできるものとのみ思いつめている。二人の間に横たわる根本的の不幸はここに存在すると云っても差支さしつかえないのである。僕は今云った通り、さいとしての彼女の美くしい感情を、そう多量に受け入れる事のできない至ってくすぶった性質たちなのだが、よし焼石に水をそそいだ時のように、それをことごとく吸い込んだところで、彼女の望み通りに利用する訳にはとても行かない。もし純粋な彼女の影響が僕のどこかに表われるとすれば、それはいくら説明しても彼女には全く分らないところに、思いも寄らぬ形となって発現するだけである。万一彼女の眼にとまっても、彼女はそれをコスメチックで塗り堅めた僕の頭や羽二重はぶたえ足袋たびで包んだ僕の足よりもありがたがらないだろう。要するに彼女から云えば、美くしいものを僕の上に永久浪費して、しだいしだいに結婚の不幸を嘆くに過ぎないのである。

そして、これが須永の千代子に対する気持ちです。

ずいぶん複雑なこと考えてますね。千代子とは小さい頃から仲で、非常に親しい間柄です。千代子は近代的な女性で物怖じをせず「恐れない者」という言葉で夏目漱石は形容しています。そんな千代子と須永が夫婦になるということを須永は恐れています。何故なら、結婚すれば千代子の性質から結婚を嘆くに違いないと考えているからです。その微妙な距離感、複雑な関係がわかります。まあ、そんなに深く考えなくても母親も喜ぶだろうし、後先考えずに結婚してしまえば良いと思いますが、何となくその複雑さは理解できるし、現代にもこのような関係性は見受けられるし、何となく人間関係は普遍なものなんだということを思わせるような物語です。

重要な5つの場面

次に物語の肝となる重要な場面を5つ紹介して終わりたいと思います。

・田川敬太郎が森本からもらい受けたステッキの不思議な効能

・松本の幼子、宵子の突然の死

・須永の恋敵の高木と鎌倉での出来事

・女中=作(さく)の存在

・「松本の話」と須永市蔵の一人旅

田川敬太郎が森本からもらい受けたステッキの不思議な効能

この間浅草でうらないの婆さんから聞いた、「近い内に何か事があるから、その時にはこうこういうものを忘れないようにしろ」という注意を思い出した。

「停留所」より

敬太郎は、浅草で占いを老女にして貰います。

今も昔もそうですが、人には進むべき道があり、運命があります。一体全体、運命がどのように自分を運んでいくのか、誰かに教えて欲しいと誰しもが思います。

この「彼岸過迄」の魅力は、求職中の田川敬太郎が自分が今後、どのような運命に飲み込まれるのかを気にかけており、浅草の占いを訪れたのもそのためです。そして、夏目漱石は、敬太郎の運命を伏線によって暗示した通り導いていきます。

敬太郎の森本との出会いと会話。森本が残していったステッキ。ステッキの魔力による敬太郎の世界観の変化。敬太郎は小説に書かれていますが、ロマンチックな面があります。そして、人の内面や心理に並々ならぬ好奇心があり、森本のような冒険家にはなれないまでも、須永の親族と関わっていくなかで、どんどん運命に導かれて世界が変化します。

このステッキや森本がどのような意味があるのか、物語の伏線になっているのかを注目して読むとおもしろいかと思います。

松本の幼子、宵子の突然の死

 

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