はじめに「彼岸過迄」のとっかかり
注意:ネタバレを含みます
夏目漱石「彼岸過迄」の「須永の話」より
須永市蔵「それでもよくこんな物を丹念にしまっておくね」
千代子「あたし御嫁に行く時も持ってくつもりよ」
(中略)
「そんな下らないものは持って行かないがいいよ」
「いいわ、持って行ったって、あたしのだから」
彼女はこう云いつつ、赤い椿や紫の東菊を重ねて、また文庫の中へしまった。僕は自分の気分を変えるためわざと彼女にいつごろ嫁に行くつもりかと聞いた。彼女はもう直に行くのだと答えた。
「しかしまだきまった訳じゃないんだろう」
「いいえ、もうきまったの」
彼女は明らかに答えた。今まで自分の安心を得る最後の手段として、一日も早く彼女の縁談が纏まれば好いがと念じていた僕の心臓は、この答と共にどきんと音のする浪を打った。そうして毛穴から這い出すような膏汗が、背中と腋の下を不意に襲った。千代子は文庫を抱いて立ち上った。障子を開けるとき、上から僕を見下して、「嘘よ」と一口判切云い切ったまま、自分の室の方へ出て行った。
いきなりですが、小説「彼岸過迄」の登場人物である須永市蔵と田口千代子とのやり取りです。千代子の「嘘よ」という思わせぶりな態度と、須永の焦りを窺わせる場面です。明治時代にこのような男女のやり取りがあったのですね♥。
この場面の後、千代子に電話が掛かってきます。
声が出ないから市蔵に代わり電話口で喋ってくれと頼み、男女の掛け合いが始まります。千代子が耳に受話器を持ち、須永が代わりに伝言を伝える。千代子がここでずいぶんイタズラなことを言うものだから、須永は千代子に電話を貸せと受話器を取り上げようとしますが、千代子は取らせない。須永は受話器を取ろうとするが、千代子はいやいやをして取らせない。最後に千代子が手早く電話を切って高笑いをするという場面です。
夏目漱石を代表する作品というと「坊っちゃん」「吾輩は猫である」「こころ」が上げられますが、他にも魅力的な作品はたくさんあります。この「彼岸過迄」はまさに純文学のなかの純文学、ザ・純文学と言える作品です。この作品は「こころ」同様、人間心理の内面の葛藤やそれらに関する洞察が散りばめられていて、読み進めていくと「うーん、文学だなあ」と唸るような感動があります。
「彼岸過迄」は、まさに人間が誰しも抱えている言葉では言い表せない内面の問題に切り込んでいます。
夏目漱石の小説「彼岸過迄」は、後期三部作といわれる「彼岸過迄」「行人」「こころ」の順で書かれた漱石の晩年の作品であります。
この作品、設定が非常に複雑で、登場人物は10人程度と少ないのですが、それぞれの相関関係や家系図を掴むのに時間が掛かります。今回は、はじめに設定を掴めるように要約して、あらすじを提示したあと、この小説の肝となる部分と登場人物にまつわる話を5つの場面から紹介して、全体像だけでなく「彼岸過迄」のおもしろさを詳しい内容と共に、ご紹介していきたいと思います。
登場人物
主人公であり須永の友人。求職中。須永に田口を紹介される。
大学卒業後、仕事はしていない。田口要作は叔父、田口千代子は従妹に当たる。千代子とは付かず離れずの間柄。
資産家。須永市蔵の母の義理の弟。田川敬太郎の面倒をみることになる。
田口要作の長女。近代的な自我を持った闊達な女性。
高等遊民であり、仕事はしていない。須永市蔵の母親の弟。田口要作の義理に弟。
小さい頃より、千代子と婚姻関係を結んで欲しいと市蔵に懇願。
要作の次女。千代子の妹。
田川敬太郎と同じ下宿に居た男。冒険家。いろいろな地へ赴いている。
百代子の級友の兄。鎌倉で千代子や市蔵と行動を共にして、以後、仕事で中国の上海に赴任。千代子と文通している。
19歳女性。「須永の話」で登場する。
松本恒三の幼子。須永市蔵と田口千代子とは従兄弟。千代子が食事の面倒を見ていた時に急死。

小説「彼岸過迄」の設定を掴む
まず、「彼岸過迄」を読み進めていくと、5分ともたずに飽きてしまいます。
というのも、田川敬太郎が大学を卒業して職を探しているというところから始まるのですが、初めに森本という下宿先の男が登場します。このチャプターが物語の伏線になっているですが、正直、始まりは何が言いたいのよくわからず物語が一行に進んでいきません。
森本と敬太郎の話は後述しますが、物語の大まかな流れを初めに提示します。
チャプターは6つあります。
「風呂の後」「停留所」「報告」「雨の降る日」「須永の話」「松本の話」です。
この小説、実質主人公が二人おります。
田川敬太郎と須永市蔵です。
「風呂の後」「停留所」「報告」「雨の降る日」のチャプターでは、専ら田川敬太郎の話になりますが、「須永の話」からは、一転して須永市蔵の視点で、市蔵の従兄弟である田口千代子との煮え切らない恋愛話へと物語が移ります。
そして、主な登場人物はすべて、須永市蔵の親類ばかりです。この中にあって、田川敬太郎は須永の親族たちとは関係ないまったくの他人で須永市蔵の友人という設定です。敬太郎は職を探していて須永市蔵に須永の叔父である田口を紹介してもらい職の斡旋をしてもらうべく田口家と付き合いをしていきます。
つまり、田川敬太郎の視点で、須永市蔵を取り巻く人間関係と田口千代子との関係が明らかになっていくというのが「彼岸過迄」の大まかな設定になります。
敬太郎の話~「彼岸過迄」の前半
「彼岸過迄」の物語は、終盤に須永市蔵の内面独白と千代子や母との関係へと向かっていきます。
では序盤の田川敬太郎が、大学を卒業して職を探している状況から須永の親類との付き合いが始まっていくまでの物語とは何なのか? これは須永市蔵の置かれている状況を説明するための要素を読者に提示することと物語の肝の部分への伏線になります。
「風呂の後」のチャプターで、冒険家の森本と田川敬太郎が同じ下宿先にいて、その関わりについて語られています。敬太郎は大学を卒業してまだ地位(仕事)にありつけない状況にいます。そんな敬太郎と森本が同じ下宿先で風呂に入っている時に、森本と遭遇し話をします。
そんな折り、森本は下宿先から姿を消します。
森本は下宿先の家賃を滞納しており、敬太郎は下宿の大家さんに森本と懇意にしていたことで怪しまれます。その後、森本から敬太郎の元に手紙が来て、現在彼が中国の大連にいることが判明します。
ところで、この後、敬太郎は須永市蔵に田口の叔父を紹介してもらい職の斡旋をしてもらいます。その過程で、この一族と付き合いができていきます。では序盤で森本とのやり取りが続きますが、何故、森本を登場させたのか? それはこの「風呂の後」のチャプターで読者に物語のその後を予期させるための伏線をはるために森本を登場させたのです。
敬太郎にはロマンチックな一面があり、この性質の裏にあるのが漱石流の運命の解釈です。
敬太郎は大学を卒業しており、森本には学がありません。そんな森本には敬太郎が一種、羨むような自由さがあます。そんな森本の蝦夷地(北海道)の開拓の経験や仕事を辞めて勝手気ままに大連に旅だっていったようなことが敬太郎には魅力でした。
この森本が下宿先に置いていった頭に龍を形取ったステッキを敬太郎はもらい受けます。このステッキがある種、神秘的で敬太郎のその後の運命を決定づけるような役割を担います。
次のチャプター「停留所」で、敬太郎は須永に紹介された田口の叔父の言いつけで、ある男を付けて小川町の停留所に向かいました。この男は女と西洋料理屋に入り、食事をして別れていきますが、敬太郎はこの一部始終をずっと付けて会話も部分部分で聞き取り、帰ってから田口の叔父に報告します。
「報告」のチャプターで、田口に報告を行います。敬太郎はわかる範囲で「停留所」での付けた男女のことを田口に話すと、敬太郎のその正直なところを評価されます。付けていたのは田口の義理の弟(田口の妻の弟)であることを田口は白状し、その男に会ってみるかと促されて紹介状を渡されて、松本という男に会いに行きます。
須永の事情と敬太郎から観た須永の親類たち
「風呂の後」「停留所」「報告」のチャプターで、敬太郎は運命の糸にたぐり寄せられていき状況がめまぐるしく変わっていきました。森本と会い、ステッキをもらい受け敬太郎はこの杖に導かれながら「須永市蔵の母親の妹の旦那さん」である田口の叔父を紹介され、ある男を付けるように言いつけられて、今度は松本という男と出会います。松本という男は、「須永の母親の弟」です。
ちなみに「彼岸過迄」を理解するには、物語の序盤から中盤にかけて登場してくる人物の親族関係を理解しないと、この話はよくわかりません。敬太郎の視点から須永の親族の相関図を追ってみてください。
「停留所」のチャプターで敬太郎が、須永の家に訪れた時に、この家に入っていく女性を目にします。この女が須永の従兄弟である田口千代子という田口の叔父の長女であることが後に判明します。田口の叔父には、千代子と百代子という二人娘があり、敬太郎は千代子と須永市蔵の恋仲を疑ります。
ここまでようやく材料が出そろって、須永市蔵の独白である「須永の話」に至ります。

「須永の話」からわかる千代子と市蔵の恋物語~「彼岸過迄」の後半
とにかく僕と千代子の間には両方共物心のつかない当時からすでにこういう絆があった。けれどもその絆は僕ら二人を結びつける上においてすこぶる怪しい絆であった。二人は固より天に上る雲雀のごとく自由に生長した。絆を綯った人でさえ確とその端を握っている気ではなかったのだろう。僕は怪しい絆という文字を奇縁という意味でここに使う事のできないのを深く母のために悲しむのである。
母は僕の高等学校に這入った時分それとなく千代子の事を仄めかした。その頃の僕に色気のあったのは無論である。けれども未来の妻という観念はまるで頭に無かった。そんな話に取り合う落ちつきさえ持っていなかった。ことに子供の時からいっしょに遊んだり喧嘩をしたり、ほとんど同じ家に生長したと違わない親しみのある少女は、余り自分に近過ぎるためかはなはだ平凡に見えて、異性に対する普通の刺戟を与えるに足りなかった。これは僕の方ばかりではあるまい、千代子もおそらく同感だろうと思う。その証拠には長い交際の前後を通じて、僕はいまだかつて男として彼女から取り扱かわれた経験を記憶する事ができない。彼女から見た僕は、怒ろうが泣こうが、科をしようが色眼を使おうが、常に変らない従兄に過ぎないのである。もっともこれは幾分か、純粋な気象を受けて生れた彼女の性情からも出るので、そこになるとまた僕ほど彼女を知り抜いているものはないのだが、単にそれだけでああ男女の牆壁が取り除けられる訳のものではあるまい。ただ一度……しかしこれは後で話す方が宜かろうと思う。「須永の話」より
須永には複雑な事情があります。
小さい頃より、須永の母親は田口の長女である千代子と市蔵を結びつけたがった。
というのも、須永市蔵とその母親とは血が繋がっていなかったのです。市蔵は他界した父親と下働きの女中との間に生まれた子でした。つまり市蔵と母とは血が繋がっていないということは、千代子とも血が繋がっていない。母親が姪っ子である千代子と息子である市蔵との縁組みを須永が幼いころより望んでいたのは、こういう事情があったからです。
この物語は、「須永の話」によって須永が千代子のことをどのように考えているかが明らかになります。須永は千代子へある種の憧憬を持ちながら、千代子を遠ざけていきます。千代子はというと、須永から語られるところから、煮え切らない須永に対して、いくつかの意味深な態度を取ったり、問いかけをしてきます。
夏目漱石「こころ」の「先生と遺書」でも、このような一人称の語りになっていますが、この小説の「須永の話」にも女の思わせぶりな態度が多く見受けられます。一体、千代子が須永に対してどのような思いを抱いているのかは最後までわかりません。
須永の語りの中に次のような一場面があります。
僕と彼らとはあらゆる人の結婚問題についても多くを語る機会を持たなかった。ただある時叔母と僕との間にこんな会話が取り換わされた。
「市さんももうそろそろ奥さんを探さなくっちゃなりませんね。姉さんはとうから心配しているようですよ」
「好いのがあったら母に知らしてやって下さい」
「市さんにはおとなしくって優しい、親切な看護婦みたような女がいいでしょう」
「看護婦みたような嫁はないかって探しても、誰も来手はあるまいな」
僕が苦笑しながら、自ら嘲けるごとくこう云った時、今まで向うの隅で何かしていた千代子が、不意に首を上げた。
「あたし行って上げましょうか」
僕は彼女の眼を深く見た。彼女も僕の顔を見た。けれども両方共そこに意味のある何物をも認めなかった。叔母は千代子の方を振り向きもしなかった。そうして、「御前のようなむきだしのがらがらした者が、何で市さんの気に入るものかね」と云った。僕は低い叔母の声のうちに、窘なめるようなまた怖れるような一種の響を聞いた。千代子はただからからと面白そうに笑っただけであった。その時百代子も傍にいた。これは姉の言葉を聞いて微笑しながら席を立った。形式を具えない断りを云われたと解釈した僕はしばらくしてまた席を立った。
須永の親族の間でも、須永と千代子の関係に繊細で腫れ物を触るような何かを感じている場面です。須永の母は、市蔵が小さい時分からずっと千代子を貰ってくれということを繰り返して言っていたようですが、他の親族たちはその関係を何となく悟って、なるべくそのことに触れないような態度を取っているのが印象的です。
他の場面で、千代子が風邪を引いて市蔵がそれをみて可憐だと言っているシーンがありました。
その日彼女は病気のせいかいつもよりしんみり落ちついていた。僕の顔さえ見ると、きっと冷かし文句を並べて、どうしても悪口の云い合いを挑まなければやまない彼女が、一人ぼっちで妙に沈んでいる姿を見たとき、僕はふと可憐な心を起した。それで席に着くや否や、優しい慰藉の言葉を口から出す気もなく自から出した。すると千代子は一種変な表情をして、「あなた今日は大変優しいわね。奥さんを貰ったらそういう風に優しくしてあげなくっちゃいけないわね」と云った。遠慮がなくて親しみだけ持っていた僕は、今まで千代子に対していくら無愛嬌に振舞っても差支ないものと暗に自から許していたのだという事にこの時始めて気がついた。そうして千代子の眼の中にどこか嬉しそうな色の微かながら漂ようのを認めて、自分が悪かったと後悔した。
千代子と市蔵の関係は、このように親しみのある悪ふざけの掛け合いをしだすことが多いが、ちょっとしたきっかけで千代子が悪態をつくような、市蔵をからかうようなことを言い出す場面があって、この場面でも最後にそのようなやりとりがあります。
僕は常に考えている。「純粋な感情ほど美くしいものはない。美くしいものほど強いものはない」と。強いものが恐れないのは当り前である。僕がもし千代子を妻にするとしたら、妻の眼から出る強烈な光に堪えられないだろう。その光は必ずしも怒を示すとは限らない。情の光でも、愛の光でも、もしくは渇仰の光でも同じ事である。僕はきっとその光のために射竦められるにきまっている。それと同程度あるいはより以上の輝くものを、返礼として彼女に与えるには、感情家として僕が余りに貧弱だからである。僕は芳烈な一樽の清酒を貰っても、それを味わい尽くす資格を持たない下戸として、今日まで世間から教育されて来たのである。
千代子が僕のところへ嫁に来れば必ず残酷な失望を経験しなければならない。彼女は美くしい天賦の感情を、あるに任せて惜気もなく夫の上に注ぎ込む代りに、それを受け入れる夫が、彼女から精神上の営養を得て、大いに世の中に活躍するのを唯一の報酬として夫から予期するに違いない。年のいかない、学問の乏しい、見識の狭い点から見ると気の毒と評して然るべき彼女は、頭と腕を挙げて実世間に打ち込んで、肉眼で指す事のできる権力か財力を攫まなくっては男子でないと考えている。単純な彼女は、たとい僕のところへ嫁に来ても、やはりそう云う働きぶりを僕から要求し、また要求さえすれば僕にできるものとのみ思いつめている。二人の間に横たわる根本的の不幸はここに存在すると云っても差支ないのである。僕は今云った通り、妻としての彼女の美くしい感情を、そう多量に受け入れる事のできない至って燻ぶった性質なのだが、よし焼石に水を濺いだ時のように、それをことごとく吸い込んだところで、彼女の望み通りに利用する訳にはとても行かない。もし純粋な彼女の影響が僕のどこかに表われるとすれば、それはいくら説明しても彼女には全く分らないところに、思いも寄らぬ形となって発現するだけである。万一彼女の眼にとまっても、彼女はそれをコスメチックで塗り堅めた僕の頭や羽二重の足袋で包んだ僕の足よりもありがたがらないだろう。要するに彼女から云えば、美くしいものを僕の上に永久浪費して、しだいしだいに結婚の不幸を嘆くに過ぎないのである。
そして、これが須永の千代子に対する気持ちです。
ずいぶん複雑なこと考えてますね。千代子とは小さい頃から仲で、非常に親しい間柄です。千代子は近代的な女性で物怖じをせず「恐れない者」という言葉で夏目漱石は形容しています。そんな千代子と須永が夫婦になるということを須永は恐れています。何故なら、結婚すれば千代子の性質から結婚を嘆くに違いないと考えているからです。その微妙な距離感、複雑な関係がわかります。まあ、そんなに深く考えなくても母親も喜ぶだろうし、後先考えずに結婚してしまえば良いと思いますが、何となくその複雑さは理解できるし、現代にもこのような関係性は見受けられるし、何となく人間関係は普遍なものなんだということを思わせるような物語です。

重要な5つの場面
次に物語の肝となる重要な場面を5つ紹介して終わりたいと思います。
田川敬太郎が森本からもらい受けたステッキの不思議な効能
この間浅草で占ないの婆さんから聞いた、「近い内に何か事があるから、その時にはこうこういうものを忘れないようにしろ」という注意を思い出した。
「停留所」より
敬太郎は、浅草で占いを老女にして貰います。
今も昔もそうですが、人には進むべき道があり、運命があります。一体全体、運命がどのように自分を運んでいくのか、誰かに教えて欲しいと誰しもが思います。
この「彼岸過迄」の魅力は、求職中の田川敬太郎が自分が今後、どのような運命に飲み込まれるのかを気にかけており、浅草の占いを訪れたのもそのためです。そして、夏目漱石は、敬太郎の運命を伏線によって暗示した通り導いていきます。
敬太郎の森本との出会いと会話。森本が残していったステッキ。ステッキの魔力による敬太郎の世界観の変化。敬太郎は小説に書かれていますが、ロマンチックな面があります。そして、人の内面や心理に並々ならぬ好奇心があり、森本のような冒険家にはなれないまでも、須永の親族と関わっていくなかで、どんどん運命に導かれて世界が変化します。
このステッキや森本がどのような意味があるのか、物語の伏線になっているのかを注目して読むとおもしろいかと思います。
松本の幼子、宵子の突然の死
「雨の降る日」のチャプターで、須永の伯父である松本に小さな幼子、宵子のエピソードがあります。宵子は須永市蔵や千代子の従兄弟に当たります。
この宵子は幼いために千代子がよく面倒をみていました。
千代子が松本の家で宵子に食事を与えていたときに事件は起きます。
宵子はうとうと寝入った人のように眼を半分閉じて口を半分開けたまま千代子の膝の上に支えられた。千代子は平手でその背中を二三度叩いたが、何の効目もなかった。
「叔母さん、大変だから来て下さい」
母は驚ろいて箸と茶碗を放り出したなり、足音を立てて這入って来た。
千代子の目の前で宵子はぐったりとしてしまい、医者に連れて行ったがとうとう息を引き取ります。千代子は責任を感じて、泣き崩れてしまいます。このエピソードが物語の中でどのような意味をもっているかはわかりませんが、須永と千代子の間でこのようなやりとりがあります。
「市さん、あなた本当に悪らしい方ね。持ってるなら早く出して上げればいいのに。叔母さんは宵子さんの事で、頭がぼんやりしているから忘れるんじゃありませんか」
須永はただ微笑して立っていた。
「あなたのような不人情な人はこんな時にはいっそ来ない方がいいわ。宵子さんが死んだって、涙一つ零すじゃなし」
「不人情なんじゃない。まだ子供を持った事がないから、親子の情愛がよく解らないんだよ」
「まあ。よく叔母さんの前でそんな呑気な事が云えるのね。じゃあたしなんかどうしたの。いつ子供持った覚があって」
「あるかどうか僕は知らない。けれども千代ちゃんは女だから、おおかた男より美くしい心を持ってるんだろう」
宵子の存在は、恐らく千代子と須永の関係の隠喩になっているのではないでしょうか?
宵子の死は「雨の日」の如く、冷たく降る雨(=死)と生の境にあります。平生と違う世界に宵子が旅立ったことで、千代子か須永の関係による後の誰かの「死」に通じているような気がします。
須永の恋敵の高木と鎌倉での出来事
僕は初めて彼の容貌を見た時からすでに羨ましかった。話をするところを聞いて、すぐ及ばないと思った。それだけでもこの場合に僕を不愉快にするには充分だったかも知れない。けれどもだんだん彼を観察しているうちに、彼は自分の得意な点を、劣者の僕に見せつけるような態度で、誇り顔に発揮するのではなかろうかという疑が起った。その時僕は急に彼を憎み出した。そうして僕の口を利くべき機会が廻って来てもわざと沈黙を守った。
落ちついた今の気分でその時の事を回顧して見ると、こう解釈したのはあるいは僕の僻みだったかも分らない。僕はよく人を疑ぐる代りに、疑ぐる自分も同時に疑がわずにはいられない性質だから、結局他に話をする時にもどっちと判然したところが云い悪くなるが、もしそれが本当に僕の僻み根性だとすれば、その裏面にはまだ凝結した形にならない嫉妬が潜んでいたのである。
「須永の話」に恋敵である高木の存在について須永が語る場面があります。
この高木は千代子の妹の百代子の級友の兄で、それなりの身分の青年として出てきます。彼はイギリスに留学した経験から、みんなに非常に肉の締まった身体をしていて、それでいて気を配れる紳士として描かれています。明治時代のイケメンであり、千代子や須永とも近い年齢にあります。
高木は鎌倉に別荘があり、須永が母親の付き添いで嫌々ながら田口の伯父や千代子や百代子と鎌倉に旅行に来たときに高木も行動を共にしました。
僕は普通の人間でありたいという希望を有っているから、嫉妬心のないのを自慢にしたくも何ともないけれども、今話したような訳で、眼の当りにこの高木という男を見るまでは、そういう名のつく感情に強く心を奪われた試がなかったのである。僕はその時高木から受けた名状しがたい不快を明らかに覚えている。そうして自分の所有でもない、また所有する気もない千代子が源因で、この嫉妬心が燃え出したのだと思った時、僕はどうしても僕の嫉妬心を抑えつけなければ自分の人格に対して申し訳がないような気がした。僕は存在の権利を失った嫉妬心を抱いて、誰にも見えない腹の中で苦悶し始めた。
何となく僕にも覚えがあります。相手は思慮分別のある頭の良いイケメンであり、千代子との関係も靄は掛かっているが、何となく只ならぬ雰囲気もあります。そんな男が現れたとき初めて、須永の中に千代子への高木の態度に嫉妬を覚えます。
高木の面前から一刻も早く逃れる機会は、与えられないでも手を出して奪いたいくらいに思っていたのだが、今の気分では二人と浜辺まで行く努力がすでに厭であった。母は失望したような顔をして、いっしょに行っておいでなと云った。僕は黙って遠くの海の上を眺めていた。姉妹は笑いながら立ち上った。
「相変らず偏窟ねあなたは。まるで腕白小僧見たいだわ」
千代子にこう罵しられた僕は、実際誰の目にも立派な腕白小僧として見えたろう。僕自身も腕白小僧らしい思いをした。調子の好い高木は縁側へ出て、二人のために菅笠のように大きな麦藁帽を取ってやって、行っていらっしゃいと挨拶をした。
須永の嫉妬が千代子に見破られるシーンです。
少なからず須永のモヤモヤした気持ちが表に出て、千代子に諫められる場面。
僕は断言する。もしその恋と同じ度合の劇烈な競争をあえてしなければ思う人が手に入らないなら、僕はどんな苦痛と犠牲を忍んでも、超然と手を懐ろにして恋人を見棄ててしまうつもりでいる。男らしくないとも勇気に乏しいとも、意志が薄弱だとも、他から評したらどうにでも評されるだろう。
須永なの女の腐ったような考えです。なかなかイジイジしてますね。僕の生き写しかと思いました。
舟に乗るときに、偶然か必然か、須永と千代子が舟の舳に二人膝をつき合わせて座ることになります。そして高木の座る方にはスペースが少しあるという状況になります。
僕は千代子にこう云った。――
「千代ちゃん行っちゃどうだ。あっちの方が広くって楽なようだから」
「なぜ、ここにいちゃ邪魔なの」
千代子はそう云ったまま動こうとしなかった。僕には高木がいるからあっちへ行けというのだというような説明は、露骨と聞こえるにしろ、厭味と受取られるにしろ、全く口にする勇気は出なかった。ただ彼女からこう云われた僕の胸に、一種の嬉しさが閃めいたのは、口と腹とどう裏表になっているかを曝露する好い証拠で、自分で自分の薄弱な性情を自覚しない僕には痛い打撃であった。
千代子が「ここにいちゃ邪魔なの」という言葉に須永は一種嬉しさを感じます。
僕がどこかで経験したような、そんな場面です。須永の気持ちがはっきりしない、それでいて恋敵が着に掛かるようなそんな話しを須永は敬太郎に自白しました。
このような状況があり、明くる日、須永は予定を早めて東京に戻ります。
女中=作(さく)の存在
母がいないので、すべての世話は作という小間使がした。鎌倉から帰って、始めてわが家の膳に向った時、給仕のために黒い丸盆を膝の上に置いて、僕の前に畏こまった作の姿を見た僕は今更のように彼女と鎌倉にいる姉妹との相違を感じた。作は固より好い器量の女でも何でもなかった。けれども僕の前に出て畏こまる事よりほかに何も知っていない彼女の姿が、僕にはいかに慎ましやかにいかに控目に、いかに女として憐れ深く見えたろう。彼女は恋の何物であるかを考えるさえ、自分の身分ではすでに生意気過ぎると思い定めた様子で、おとなしく坐っていたのである。僕は珍らしく彼女に優しい言葉を掛けた。そうして彼女に年はいくつだと聞いた。彼女は十九だと答えた。僕はまた突然嫁に行きたくはないかと尋ねた。彼女は赧い顔をして下を向いたなり、露骨な問をかけた僕を気の毒がらせた。僕と作とはそれまでほとんど用の口よりほかに利いた事がなかったのである。僕は鎌倉から新らしい記憶を持って帰った反動として、その時始めて、自分の家に使っている下婢の女らしいところに気がついた。愛とは固より彼女と僕の間に云い得べき言葉でない。僕はただ彼女の身の周囲から出る落ちついた、気安い、おとなしやかな空気を愛したのである。
さきにネタバレしましたが、須永は母親とは血が繋がっていないことが最後の「松本の話」で明らかになります。つまり須永は従兄弟とはいえ、千代子とも血が繋がっていないのです。
母親が露骨に、小さい頃から千代子を須永市蔵の嫁にしたいと口にしてきたのは、須永を親類として繋げたいという母親の気持ちがありました。どういうことかというと、市蔵と千代子が婚姻関係を結べば自然、子供ができます。その子供は千代子が産んだ子なので当然、須永の母親と血で結びつきます。そして、これにより須永は初めてこの親類たちと結びつけられるのです。その子の存在により誰とも血で結びつかない孤独だった須永がみんなと血で結びつくのです。
ちょっと考えすぎかもしれませんが、死んだ須永の父親がいなくなったことで須永には血の繋がりがどこにもないのです。では須永の実の母親は誰なのか?
それは昔の女中が産んだ子だったのです。
これはこの物語の一番肝の部分です。孤独な須永と女中であった母親と須永の父親。
端的に言います、女中である作の存在は物語の構造になっているのです。
女中作を思い遣る須永は因果応報、父親と母親である女中の関係を暗示しているのです。孤独な須永の胸の中にある母親への憧憬。もちろんこの頃、まだ須永は自分が現在の母親の子ではないことを知りません。須永はその事実を知ったとき、出生の秘密と自分の存在を整理するために一人旅にでます。
僕は僕の前に坐っている作の姿を見て、一筆がきの朝貌のような気がした。ただ貴とい名家の手にならないのが遺憾であるが、心の中はそう云う種類の画と同じく簡略にでき上っているとしか僕には受取れなかった。作の人柄を画に喩えて何のためになると聞かれるかも知れない。深い意味もなかろうが、実は彼女の給仕を受けて飯を食う間に、今しがたゲダンケを読んだ自分と、今黒塗の盆を持って畏まっている彼女とを比較して、自分の腹はなぜこうしつこい油絵のように複雑なのだろうと呆れたからである。白状すると僕は高等教育を受けた証拠として、今日まで自分の頭が他より複雑に働らくのを自慢にしていた。ところがいつかその働らきに疲れていた。何の因果でこうまで事を細かに刻まなければ生きて行かれないのかと考えて情なかった。僕は茶碗を膳の上に置きながら、作の顔を見て尊とい感じを起した。
「須永の話」より
「松本の話」と須永市蔵の一人旅
須永が女中と穏やかにまったりしているところに、母親が予定を早めて須永の家に戻ってきました。須永の母親に同行して連れて送り届けたのが千代子でした。
自白すれば僕はそこへ坐って十分と経たないうちに、また眼の前にいる彼女の言語動作を一種の立場から観察したり、評価したり、解釈したりしなければならないようになったのである。僕はそこに気がついた時、非常な不愉快を感じた。またそういう努力には自分の神経が疲れ切っている事も感じた。僕は自分が自分に逆らって余儀なくこう心を働かすのか。あるいは千代子が厭がる僕を無理に強いて動くようにするのか。どっちにしても僕は腹立たしかった。
千代子が須永の家に一泊することになりましたが、鎌倉での一件があったために須永には迷惑でした。ここでまた千代子に須永の心のうちを見透かしたようなことを言われるのですが、それは本編を読んでみてください。
千代子が須永の家にきたということで、今まで女中作との絡みがなくなってしまいます。
そのときの作の心情を須永は慮っています。
作が下から二度ばかり上って来た。一度は煙草盆の火を入れ更えて、僕の足の下に置いて行った。二返目には近所から取り寄せた氷菓子を盆に載せて持って来た。僕はそのたびごと階級制度の厳重な封建の代に生れたように、卑しい召使の位置を生涯の分と心得ているこの作と、どんな人の前へ出ても貴女としてふるまって通るべき気位を具えた千代子とを比較しない訳に行かなかった。千代子は作が出て来ても、作でないほかの女が出て来たと同じように、なんにも気に留めなかった。作の方ではいったん起って梯子段の傍まで行って、もう降りようとする間際にきっと振り返って、千代子の後姿を見た。
このような須永の自白を聞いていた敬太郎は、最後のチャプターで「松本の話」を聞きます。
須永市蔵の大学卒業前の話、そのなかで須永は松本と何度かやり取りをします。ナイーブな話、須永の母が松本に千代子と市蔵との縁談を進めたい旨を松本に告げていて、松本は須永にその真意をそれとなく聞き出します。
これが物語のクライマックスになります。
「僕はあなたに云われない先から考えていたのです。おっしゃるまでもなく自分の事だから考えていたのです。誰も教えてくれ手がないから独りで考えていたのです。僕は毎日毎夜考えました。余り考え過ぎて頭も身体も続かなくなるまで考えたのです。それでも分らないからあなたに聞いたのです。あなたは自分から僕の叔父だと明言していらっしゃる。それで叔父だから他人より親切だと云われる。しかし今の御言葉はあなたの口から出たにもかかわらず、他人より冷刻なものとしか僕には聞こえませんでした」
僕は頬を伝わって流れる彼の涙を見た。「松本の話」より
非常に須永にとっては酷な詮索でした。この親族の中で孤独を感じいている須永。
須永は松本の叔父の前で泣きました。そして、不安定な精神状態のまま旅に出る決意をします。須永は母親の願望の通り千代子を受け入れることができない。しかし、そのことによって行き場を失っていったのです。
松本は心配しながら、毎日旅先から手紙をよこすことを条件に市蔵を見送りました。「松本の話」で須永市蔵が旅先で自殺をすることを懸念しましたが、物語の最期までそのようなことはなく「彼岸過迄」は幕を閉じます。しかし、その後、須永と千代子の関係がどうなったのか、暗に仄めかすようなこともなく、漱石は次のように締めくくっています。
彼はまた須永から彼と千代子との間柄を聞いた。そうして彼らは必竟夫婦として作られたものか、朋友として存在すべきものか、もしくは敵として睨み合うべきものかを疑った。その疑いの結果は、半分の好奇と半分の好意を駆って彼を松本に走らしめた。彼は案外にも、松本をただ舶来のパイプを銜えて世の中を傍観している男でないと発見した。彼は松本が須永に対してどんな考でどういう所置を取ったかを委しく聞いた。そうして松本のそういう所置を取らなければならなくなった事情も審らかにした。
(中略)
要するに人世に対して彼の有する最近の知識感情はことごとく鼓膜の働らきから来ている。森本に始まって松本に終る幾席かの長話は、最初広く薄く彼を動かしつつ漸々深く狭く彼を動かすに至って突如としてやんだ。けれども彼はついにその中に這入れなかったのである。そこが彼に物足らないところで、同時に彼の仕合せなところである。彼は物足らない意味で蛇の頭を呪い、仕合せな意味で蛇の頭を祝した。そうして、大きな空を仰いで、彼の前に突如としてやんだように見えるこの劇が、これから先どう永久に流転して行くだろうかを考えた。
夏目漱石「彼岸過迄」より
完