
この小説よくわからない

何を読んでる?

太宰治の『人間失格』。何が言いたいのか? 読んでいて何か違和感がある。これって人間の話なの? 私とは違う人の話っぽくて理解できない。
『人間失格』は1948年に筑摩出版より出版された太宰治の自伝的小説です。現代までに累計発行部数1200万部という夏目漱石「こころ」と共に日本で一番読まれている文学作品です。まあ、そもそも『人間失格』なんてセンセーショナルな題名付けた時点でめちゃくちゃ内容が気になりますよね。筆者は夏目漱石が好きですが「こころ」とはまた趣がちがった小説であります。とにかく主人公の視点が冷徹なのです。恐ろしいほど冷めているのです。今日は物語のあらすじを初めに提示して太宰治の心の深淵を探ってみたいと思います。
自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。
そこで考え出したのは、道化でした。
それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。
自分は子供の頃から、自分の家族の者たちに対してさえ、彼等がどんなに苦しく、またどんな事を考えて生きているのか、まるでちっとも見当つかず、ただおそろしく、その気まずさに堪える事が出来ず、既に道化の上手になっていました。つまり、自分は、いつのまにやら、一言も本当の事を言わない子になっていたのです。
「人間失格」より
このようにサイコパスのような文句を主人公はつらつらと書き連ねていきます。この人は何も感じないのか? 喜びや繋がりを感じないのか? 人と笑い合わなかったのか? いや、そういうことはなかったでしょう。この小説は太宰治の文学なのです。太宰治が幼少期からずっとこんな調子だったとは思いません。これはこういう側面を表した文学作品なのです。
ですが、こういった冷めた目つきで人を観察して書いていると薄気味悪いですね。ただこういう人間の心理状態が心地良いと感じる人も一定数いることでしょう。太宰治の「人間失格」をこういう人間だったと思って読むのではなく、「人間失格」へ至るまでの主人公・葉蔵のおよそ人間らしからぬ様を文学だと思って読んでみると理解できると思います。
登場人物紹介
『人間失格』要約・各章のあらすじ

太宰治の『人間失格』は文学だにゃ。何故、主人公はこうも薄ら寒い絶望的な人間観に至ったのかを読み解くことで作家・太宰治の言わんとしていることを理解するのにゃ
太宰は主人公を徹底敵に人の人間くさい部分、繋がって笑い合うところ、何だかわからないけど人間に備わっている脆くも繊細で他人を哀れんだりする心を排除して描いています。本当はこのような人間はいないのではないかと私は考えます。いや、あるいはいるかもしれませんが……
外国では、この『人間失格』の主人公を小さい頃に虐待を受けて心に傷を抱えた精神疾患を患った人物であるという向きで見るようです。実際、第一の手記の中に「下男や下女から性的虐待を受けた」ということが書かれています。

チャプターは5つだにゃ。あらすじだけ掴んでおいてくれ。
第一の手記
第二の手記
第三の手記
その後の葉蔵は次のような変遷を辿る
- 自殺幇助の罪に問われ高等学校を放逐される
- 父親に見捨てられ身元引受人のヒラメの元に逗留されるが逃げ出す
- 雑誌記者のシズ子の家に転がり込む
- シズ子の勧めでギャグ漫画家になる
- シズ子とシズ子の娘のシゲ子と暮らすことになるが、自分がこの家庭を壊している原因だと悟りシズ子の元も去る
- バアのマダムの家に転がり込む
- バアの向かいの煙草屋の娘ヨシ子と出会い結婚
- 堀木が葉蔵の家に来たときにヨシ子が商人にレイプされているのを堀木に知らされる
- 苦しみのあまり睡眠薬を飲み、更には薬屋でもらったモルヒネに手をだす
- やがて身元引受人のヒラメと堀木に諭されて精神科へ入院し、自分が「人間失格」であるkとを悟る。
あとがき
他人の瞳に映る自分

救いようがない男の破滅的な鬱小説だが、彼が生涯演じた「道化」はとても客観的で人を想う優しさに似たものだったのにゃ
互いにあざむき合って、しかもいずれも不思議に何の傷もつかず、あざむき合っている事にさえ気がついていないみたいな、実にあざやかな、それこそ清く明るくほがらかな不信の例が、人間の生活に充満しているように思われます。けれども、自分には、あざむき合っているという事には、さして特別の興味もありません。自分だって、お道化に依って、朝から晩まで人間をあざむいているのです。自分は、修身教科書的な正義とか何とかいう道徳には、あまり関心を持てないのです。自分には、あざむき合っていながら、清く明るく朗らかに生きている、或いは生き得る自信を持っているみたいな人間が難解なのです。人間は、ついに自分にその妙諦を教えてはくれませんでした。
「第一の手記」より
普通、精神的に狡猾な人間は、人のことを思い遣ることがありませんが、葉蔵はひたすら他人の中に映る自分を見つめていました。太宰治は、4度の自殺未遂を経て1948年(昭和23年)に愛人・山埼富栄と共に入水自殺をして、その生涯を閉じる。この「人間失格」は1ヶ月前に脱稿している。ですから、よっぽど精神的に病んでいた時期の作品なので、頗る人間を否定した作品を遺したかったのかもしれません。なにはともあれ、「人間失格」の主人公は「他人の瞳に映る自分」にひたすら怯えています。主人公・葉蔵は思い遣りにも似た客観性をもって人間を観察しているのです。客観的であるのに冷徹なのです。冷ややかに他人の中に映る自分をみているのです。
葉蔵は自分が、「所謂『生活』の外」にはみ出してしまっていることを自覚していた。そして、道化によって笑わせていれば、人間たちの目障りになることもないかもしれないと考える。しかし、笑わせることは、「無だ、風だ、空だ」というふうに存在することではなかった。道化とは、他者に依存してしか成立しない受動的なものだった。
「第一の手記」より

ちょっと不自然だにゃ。ひたすら他人の中の自分がどうあるべきかばかり語って、他人を批判していない。自分に対しても破壊的な感情はない。怒りが無いのに自虐的。他人の目に自分がどう映るかにゃんてどうでもいいと思えないのだな。
精神病理だったとしても、怒りが無いのです。ずっと冷たく自分ばかり見ている。道化としての自分がうまく演じられているのかばかりに視点が注がれている。悪い人であれば、他人批判をしたりとか自分の不遇な幼年時代を恨むとか書いてもいいようなものですけど、書いていることは道化としての自分を怯えながら見ているだけ。
この中に怒りがないかと言えば私はあると考えます。静かに太宰治の内面の「自分への憎悪」を感じる。それも言いようが無いくらい静かな怒りと悲愁を……
人間への不信は、必ずしもすぐに宗教の道に通じているとは限らないと、自分には思われるのですけど。現にその嘲笑する人をも含めて、人間は、お互いの不信の中で、エホバも何も念頭に置かず、平気で生きているではありませんか。
「第一の手記」より
「人間失格」から読み取れる救いと太宰治の宗教性
自分は神にさえ、おびえていました。神の愛は信ぜられず、神の罰だけを信じているのでした。信仰。それは、ただ神の笞を受けるために、うなだれて審判の台に向う事のような気がしているのでした。地獄は信ぜられても、天国の存在は、どうしても信ぜられなかったのです。
「第三の手記」より
「人間失格」の中にも「新約聖書」に関する記述がいくつも散見されます。
太宰治にとって、生きるのは地獄のような苦痛ばかりで、救いを求めていたのかもしれません。太宰治目にはいつも、他人の瞳の中の自分が映っていて、人間としてどのようであるかをいつも考えていたことで精神的にちょっとやばかった。そして、死ぬ間際には自分を否定したのでしょう。他人の瞳の中の太宰治は「人間失格」であったのだというつもりでこの小説を執筆したのだと推測します。

俺はもちっと「遊び心」というか、アバウトなところがあるが、太宰の精神は真剣そのものだにゃ。しかも繊細。
「聖書」の中に、他人の瞳に映る「人間失格」である自分を救い出すような記述を太宰治は探したのでは無いでしょうか? そのような語りの痕跡が小説にはあります。余談ですが、太宰治は1935年に開催が始まった「第一回芥川賞」の最終候補に上がりながら落選しています。その後、「第二回芥川賞」の前に、選考委員の川端康成に悲痛な手紙を送っています。なんでも「私を見捨てないでください。名誉をください。私をお救いください」というような内容の手紙だったそうです。そこまで名誉にこだわっていたというのは意外でした。太宰治も他人に認められたかったのではないかと思います。ちなみにこの「第二回芥川賞」は新人に与えるから、ベテラン作家の太宰には賞は与えられなと最終選考からも漏れたそうです。芥川賞って今でもそうですが新人作家に与えられる賞なのです。
物語の「第三の手記」で堀木と対義語ゲームという言葉遊びをしています。対義語ゲームとは「光」の反対は? 「闇」。「朝」の反対は「夜」というように対義語を当てていくゲームで『罪」の対義語は? というお題の時に葉蔵は「罰」であるかどうかを考えていました。堀木が2階から1階に下がると最愛の妻・ヨシ子が商人に犯されていたことを堀木に報されます。

ようやく救われそうな時の描写だにゃ。葉蔵の人生は、まさに地獄。
左翼活動について
「人間失格」が脱稿された1年前に「斜陽」という小説が出版されました。この小説も強烈なのですが、視点が「かず子」という元華族(貴族)でこの家族が没落していく様が描かれています。この小説にも酒や女に堕落していく主人公・かず子の弟「直治」という無頼の青年が登場するのですが、この男の手紙にも左翼の集まりにやその思想に言及するシーンがまります。
キリスト教の「聖書」とは、太宰にとって救いの手掛かりではありましたが、左翼運動もどうやら自分を救うための手掛かりだったようです。
木は、また、その見栄坊のモダニティから、(堀木の場合、それ以外の理由は、自分には今もって考えられませんのですが)或る日、自分を共産主義の読書会とかいう(R・Sとかいっていたか、記憶がはっきり致しません)そんな、秘密の研究会に連れて行きました。
中略
そうして上座のひどい醜い顔の青年から、マルクス経済学の講義を受けました。しかし、自分には、それはわかり切っている事のように思われました。それは、そうに違いないだろうけれども、人間の心には、もっとわけのわからない、おそろしいものがある。慾、と言っても、言いたりない、ヴァニティ、と言っても、言いたりない、色と慾、とこう二つ並べても、言いたりない、何だか自分にもわからぬが、人間の世の底に、経済だけでない、へんに怪談じみたものがあるような気がして、その怪談におびえ切っている自分には、所謂唯物論を、水の低きに流れるように自然に肯定しながらも、しかし、それに依って、人間に対する恐怖から解放せられ、青葉に向って眼をひらき、希望のよろこびを感ずるなどという事は出来ないのでした。けれども、自分は、いちども欠席せずに、そのR・S(と言ったかと思いますが、間違っているかも知れません)なるものに出席し、「同志」たちが、いやに一大事の如く、こわばった顔をして、一プラス一は二、というような、ほとんど初等の算術めいた理論の研究にふけっているのが滑稽に見えてたまらず、れいの自分のお道化で、会合をくつろがせる事に努め、そのためか、次第に研究会の窮屈な気配もほぐれ、自分はその会合に無くてかなわぬ人気者という形にさえなって来たようでした。この、単純そうな人たちは、自分の事を、やはりこの人たちと同じ様に単純で、そうして、楽天的なおどけ者の「同志」くらいに考えていたかも知れませんが、もし、そうだったら、自分は、この人たちを一から十まで、あざむいていたわけです。自分は、同志では無かったんです。けれども、その会合に、いつも欠かさず出席して、皆にお道化のサーヴィスをして来ました。
好きだったからなのです。自分には、その人たちが、気にいっていたからなのです。しかし、それは必ずしも、マルクスに依って結ばれた親愛感では無かったのです。
「第二の手記」より

太宰治は実社会でも左翼運動に傾倒していたのにゃ。太宰の実家は政治家一家で、親父ばかりで無く兄貴たちも政治家だったので、太宰治は家族の厄介者で何度も叱責されたらしい。
日蔭者、という言葉があります。人間の世に於いて、みじめな、敗者、悪徳者を指差していう言葉のようですが、自分は、自分を生れた時からの日蔭者のような気がしていて、世間から、あれは日蔭者だと指差されている程のひとと逢うと、自分は、必ず、優しい心になるのです。そうして、その自分の「優しい心」は、自身でうっとりするくらい優しい心でした。
中略
思えば、当時は、さまざまの型のマルキシストがいたものです。堀木のように、虚栄のモダニティから、それを自称する者もあり、また自分のように、ただ非合法の匂いが気にいって、そこに坐り込んでいる者もあり、もしもこれらの実体が、マルキシズムの真の信奉者に見破られたら、堀木も自分も、烈火の如く怒られ、卑劣なる裏切者として、たちどころに追い払われた事でしょう。
「第二の手記」より
太宰治が欲していたのは「自分を見破る他人」なのです。この「人間失格」に出てくる竹一という男が唯一、葉蔵を見破った男でした。物語では鉄棒の授業の時の道化の演技を見破ったのも竹一でした。太宰治は「聖書」にも左翼運動にも「自分をどうか見破って打ち捨ててください」という救いを求めていたように思います。
「人間失格」あとがきの最後はこう締めくくられています。
「あのひとのお父さんが悪いのですよ」
何気なさそうに、そう言った。
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」
「あとがき」より
最後にマダムは「人間失格」の主人公・葉蔵のことをこのように表現しています。
お気づきとは思いますが、マダムは葉蔵のことを理解しきれていないのです。いや、半分正解で半分はまったく外れなのです。外れというのは「無」なのです。葉蔵は存在してないも同然なのです。
しかし、それでいて「素直で、よく気がきいて……神様みたいないい子」であると言っています。これは半分正解なのです。確かに繊細な葉蔵は「いい子」なのです。素直すぎるのです。冷徹な目を持ってしまった哀れな青年なのです。しかしマダムはそこまで見破れませんでした。この物語で唯一、葉蔵の救いは竹一でした。彼は全てではないにせよ葉蔵の道化を見破ったのです。恐らく、葉蔵のことを全部理解して洗いざらい膿を出して、それから「今まで辛かったけどもう大丈夫よ」と言ってくれた人がいたなら。それが女性だったなら葉蔵は泣き崩れて、一晩泣き続けて、ようやく朝を迎えられたことだと思います。最後の最後にマダムがこう言い残したことで葉蔵にも太宰治にも救いは無く、最後まで明日の朝陽は昇らなかったのです。
最後まで読んでいただいて、ありがとうごさいました。