グローバル経済史入門・世界経済の歴史~中国文明が産んだ発明品

まるわかり世界史

はじめに

僕が働いている職場にHさんという年配の方がいて、よく僕に経済の話をしてくれます。

Hさんは若い頃、自動車のあるパーツをつくる部品メーカーで働いていました。Hさんの勤めていた企業は、日産・トヨタ・ホンダ・スバルなどに製品を納めて利益を得ていたようです。

Hさんは、開発部から設計図を受け取って、その設計図を基にしてその後の工程のすべてを請け負っていたそうです。どんな仕事だったのかというと、開発部が取りあえずの設計図を作ってよこすのですが、Hさんはその設計図を基にして機械の手配・人員の手配・材料の手配・それに付随する全ての予算を決めていたそうです。これってかなり企業にとって重要なポジションですよね?

今、企業でここまで一人に多くを負わせるってことないんじゃないかな。1970年代の古き時代の事業形態だったと思われます。

Hさんは、若かりし頃、そこでずいぶん悩まされたと言っていました。

何故なら、会社の上層部からはコストを下げろと指示が出ているのに、コストを下げると会社の製品の品質がものすごく下がるそうです。自動車メーカーに品質の悪い製品を納め続けると、どうなるか? もちろん将来的にメーカーはもっと品質の良い製品を造る企業に鞍替えするかもしれない。いくら今、製品のコストを下げてそれなりの品質の物を納めても、メーカーとの信頼関係がありますから。

設計図には例えば、ある一定量の鉄を仕入れて、加工するための機械を仕入れて、鉄の強度を強めるところから。Hさんがその役割も引き受けていました。

いくらコストを下げろと言われても、どこでコストを下げるのか。そもそもの材料となるの仕入れを安くするのか。安い機械を使って鉄をプレスするところを妥協するのか。または、工場で働く労働力の人件費を抑えるのか。いくら会社がコストを下げろっていっても、自動車メーカーとの信頼関係があるから、そんなに妥協はできない。

そんな悩みを抱えていたそうです。

Hさんはまず、最低限のコストを確保するために、会社の上層部に掛け合いました。そこで言われたのが、鉄は中国産のものを使えと言われたそうです。

当時の中国の鉄というと、毛沢東の中国共産党の造った安い製鉄だったそうです。これって中田敦彦さんのYouTube大学「中国現代史」1970年代の毛沢東のところで製鉄の話題が出ておりました。非常に興味深い回なので一度ご試聴してみてください。

 

この頃の中国の製鉄はすごく粗悪なもので、鉄に不純物も混ざっていて、強度が酷かったらしいです。なにはともあれ、中国の粗悪な鉄を仕入れて製品を造って、メーカーに納品する訳にもいかない。そこのところが会社の上層部はわからないから説得しました。

それじゃあ、機械のコストを今度は下げろといってきたそうです。これまた鉄をプレスするのにそんな柔な加工して、ちゃんとした品質の物ができないという説得をして、最終的に物流でコストを削減したそうです。

経済に欠かせない製鉄技術

人類の歴史において、製鉄技術ほど我々の生活に役立っているものはない。

ヒッタイト人が始めた鉄鋼石から鉄を取りだして、用途に合わせて道具にする。その技術が古代中国の呉で発達したそうです。現代文明でも鉄は非常に重要な役割を担った金属です。ちなみに現代で使われている金属の95%までが、鉄から造られたものだそうです。

鉄は強度があって、古代であれば農具や武器に使用され、現代では建物やあらゆる金属製品などの物質に含まれるている。製鉄技術というものは、世界経済史で無くてはならない人類の叡智であります。

鉄はやがて工業に欠かせない物となり、鉄とその合金である「鋼鉄」は、「自動車・船・パイプ・フォーク・コンピューターのディスクドライブ・銃・超高層ビル」に至るまで、産業に非常に重要な成分として造られています。

世界史の始まりで、よく青銅器文明から鉄器文明へという移行が出てきます。鉄は青銅よりも固く錆びにくい。地球上にたくさんある鉄鉱石から取り出される鉄は世界経済の最重要な技術と言っても過言ではありません。鉄があったからこそ経済は発展したのです。

鉄は酸素と結びつき、赤鉄鉱(ヘマタイト)という鉱物になります。この赤鉄鉱から鉄を取り出すのが製鉄技術になるのです。中国の紀元前5世紀、呉でこの技術が発達しました。鉄鉱石を1450度ほどで熱すると、どろどろの溶岩みたいな液体になり、この熱い鉄の液体を鋳型に流し込んで、道具にするのが製鉄技術になります。熱い溶解された鉄が冷えると凄く固い強度を誇るそうです。

製鉄技術によって、権力と富が生まれた

文明というものは、はじめに大河のある肥沃な土地に生まれました。そして、経済というのもが発達した要因に農作物の備蓄があり、食べ物を保存することで富が生まれました。富はやがて貧富の差を生み、権力が生まれました。こういった人類の歴史の傍らにあって大きな役割を果たしたのが、鉄です。

鉄は、まず農業に飛躍的な進歩をもたらしました。鉄製の鋤は粘土質の土を掘り起こすのに役に立ち、「低木の茂る広い荒れ地を掘り起こして、田んぼに変えました」。このような農業革命が人類経済に大きな波をもたらし、富める者が支配権を持ち、こうして権力が他の権力と戦争を始めて、今度は鉄が武器として造られるようになりました。

古代中国の漢王朝(紀元前206年~)が製鉄の技術を駆使して栄華を誇りましたが、漢では現在の河南省に鉄を造る「溶解炉」を建設して、その技術を独占的に保持し続けたそうです。中国王朝の製鉄技術に西洋文明が追いつくのはそれから1500年も後の話だそうです。

紙と印刷術の発達

人類が何故、他の動物にはできない発展を遂げることができるのか。それは後生の人に対して、文献を残すことができるからに他なりません。もし、紙がなければ全て口伝でいろいろな技術を伝えなければならず、口伝によっても伝統というものはどこまでも伝わるでしょうが、ある時、子供が途絶えるかもしれません。またある時は、口伝も人によって変化していくことでしょう。

書物を書き記すということで、そっくりそのまま内容が後生に残ります。また、書物が一冊ではなく、印刷術によって何冊も増版されていれば、一冊くらい焚書してしまっても内容は後生に残ることでしょう。

製紙技術活版印刷術も、古代中国が独占していた技術であります。

経済活動においても、紙の重要性は計り知れません。壁紙、凧、ティーバック、かるた、提灯、そしてトイレットペーパーなどもすべて中国人の発明だそうです。

また科挙試験によって、全国の有能な人材を官僚として登用することで中国全土の優秀な人材を結集できたのもペーパーテストがあったからです。

紙が発明されたのは、西暦105年の漢の和帝が治めていた時代、蔡倫(さいりん)が桑の木を主原料として植物の樹皮を熱し溶かして、簾で漉(す)いて乾かしました。すると、丈夫で墨を使って書き記すことのできる紙ができました。

和帝も、この当時、何とか安価に書き記したものを残せないかということを考えていたので、蔡倫の製紙技術の発明を大いに喜ばれたということです。この製紙技術が流出したのが、「タラス河畔の戦い」でした。イスラム教国のアッバース朝に捉えられた中国人捕虜が製紙技術をもっていました。

この製紙技術は驚きをもってイスラム社会に取り入れられ、アッバース朝のサマルカンド(現ウズベキスタン)に製紙工場が建てられた。この製紙技術がエジプトへと伝わり、それまでパピルス・絹・木の板・羊皮紙に記された文字が紙に変更され、やがて製紙技術はヨーロッパに伝わりました。12世紀スペインのバレンシアで製紙工場が建てられたということです。

ちなみにヨーロッパで最初に作られた紙の書物は「シロスのミサ典書」と呼ばれる宗教書でした。

その後、15世紀、ルターによって書き記された「新約聖書」のドイツ語訳も製紙技術と活版印刷の発達により、世間に広まったのでした。それまで聖書は、ラテン語で書かれていたものしかなく、ルターのドイツ語への翻訳と印刷術によって、ようやく一般の人がキリスト教実際の教義に触れることができるようになったのです。

グーデンベルグの銀河系

 

マーシャル・マクルーハン「グーデンベルグの銀河系」には、このようなことが書かれています。「メディアとはメッセージである」。人は製紙技術と印刷技術によって、もともとの音声文化から活字文化へと変化していった。

この活字人間の誕生が何をもたらしたかというと、個人の意識の宇宙観が形成されるようになった。本を読むことで、個人は世界をその人なりにイメージするようになり、人間の意識は大幅に変わっていったと言います。

中国の木版印刷技術は、東アジアにおいて朝鮮王朝や日本にも伝播して、我々の文化にも多大な影響を与えました。朝鮮王朝では604年から、日本では大和朝廷が出現した辺りの610年に「古事記」「日本書紀」が編纂され、また飛鳥時代、中国の唐の律令(法律)を基に、701年大宝律令が制定され、条文は紙によって記されました。

製紙技術は初めに王朝が文化的な書物の編纂に使用し、やがて活版印刷により広く国民が本をよむようになり、個人主義的なそれぞれの世界観・宇宙観を個人にもたらしました。中国では、環境的に科挙試験によって、地方住みの貧しい身分の人でも、国の官僚に抜擢されるとあって、農村で必死に勉強するようになった。

これにともない、中世の中国では、印刷工場がフル稼働して、「四書五経」などの儒教書、辞書、百科事典の類い、歴史書などの本が一般人に出回り、地方からでも思想をもった人物が多数表れて、反乱の火種ともなったそうです。

そもそも国家に背く人間は、知識人であることが多く、一昔前の日本でも思想信条をもった人間は危険因子だとか、明治時代は高等遊民の小説家を嫌っていた人も少なくない。インテリは裏を返せば、グーデンベルグの宇宙観を持った反体制に育つこともあるということなのです。

おわりに・人間の意識の変化について

もう20年以上前に「映像の世紀」というNHKとアメリカのABCの合作で、1900年初等から1990年代までの映像フィルムを歴史的な変遷から編集して作ったドキュメンタリー番組がありました。「新・映像の世紀」という山田孝之さんがナレーションをした番組もありましたが、それとは別です。

この「映像の世紀」には20世紀が、映像の世紀であることが繰り返し主張されています。技術革新によって、人は現在「ゲーム」やテレビやYouTubeなどの映像媒体に影響を受けつつあります。また、インターネットの普及で爆発的な情報過多に陥っている。

かつて、人は音声文化によって共通した物語を保有し続けました。それが、文字の文化に変わり、印刷技術の発達によ、個々別々の世界観を有するようになった。そして、インターネットの普及や映像媒体が充実することで、人の意識に変化が起こっています。

もうこれ以上、変革がないと思いますか?

僕はそのようなことはないと思います。これからどんどんどんどん、テクノ六ジーの発展により、人の意識は変わっていく。どのように変わっていくかはわからないけれど、「グーデンベルグの銀河系」は更なる高みへ人間を誘うと思います。

経済形態も変わり、貨幣の形も変わり、食文化も変化し、働き方も変わり、価値も変わっていくでしょう。一つだけ、言えること、それは人がどのようななろうとも我々は、いつまでも自然の中にいて共存していかなければならないということです。そして、変化に順応していくことでしか生き残っていくことはできないのです。

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