世界史のとっかかり〜近現代史の全体像を把握しよう

まるわかり世界史

世界史のとっかかりシリーズは「まるわかり世界史」「詳細世界史」に分けてみます。

「まるわかり世界史」は本当に大枠の部分。大きな流れを把握できるように解説していきます。

「詳細世界史」では、とある時代のある分野、例えば「中世ドイツの都市文化」とか「古代ギリシアの民主政治」とか「中国の唐王朝の文化史」とか細かい部分のおもしろいお話をしていきます。

今日は「第一回」なので「まるわかり世界史」の二つの両世界大戦から現代までの流れです。

はじめに

世界史って受験では暗記科目ですよね。

国公立大学を受験された方にとっては、そうでもないかもしれませんが。

今日は第一次と第二次世界大戦とその後の世界をひたすら流れだけを追って、「なるほど、それで世界はこのようになっているのか」と納得していただけるような近現代史のお話ししていきます。

大人が知っておかなければならない近現代の肝心な部分だけ、ピックアップしてひたすら全体像と流れだけを見ていきます。

この一記事だけで、歴史の教養が付くこと請け合いです、

近現代史の流れ

本当に簡単に説明します。

あまりに簡易的すぎるので、すみませんが気になったところは、詳細を自分で調べてみてください。

ただ流れだけをおもしろおかしく説明していきます。

第一次世界大戦が勃発したのは、1914年のことです。

当時のオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子であるフェルディナンドというハプスブルグ家の跡取りがセルビア人の民族主義者の青年に暗殺されます。

オーストリアの王族の跡継ぎが殺されて一国が黙っているわけないですよね?

当然、オーストリアがセルビアに宣戦布告します。

ここら辺かなりヨーロッパ各国の同盟関係と思惑がぶつかって、ここから二つの陣営に分かれて戦争していきます。これはヨーロッパの戦争の筈ですが、この時代は帝国主義の時代ですから、世界中を巻き込んだ戦争に発展する訳ですよ。

ですから、第一次世界大戦とは、オーストリアVSセルビアの戦いだったのが、セルビアの後ろ盾だったロシアが先ず介入してきます。

オーストリアVSセルビア・ロシアになります。

その次がドイツですよ。オーストリアの同盟国ドイツが参戦して、ロシアと英仏同盟を結んでいたフランスに宣戦布告します。

これで、オーストリア・ドイツVSセルビア・ロシア・フランスという構図になって、ドイツが中立国ベルギーにまで侵攻していったことで、イギリスが「おいおい、待て待て」と参戦してきます。

オーストリア・ドイツVSセルビア・ロシア・フランス・イギリスとなります。これにセルビアと戦争をしていた国があって、それがブルガリアとオスマン=トルコです。この2国がオーストリア側に付いて、こういう図式になりあます。

オーストリア・ドイツ・ブルガリア・オスマン=トルコ(同盟国)

VS

セルビア・ロシア・フランスを中心とした27カ国連合(日本・アメリカ含む)

こういう感じで、第一次世界大戦が起きました。

何故各国の同盟関係を説明したのかというと、この関係は第二次大戦に関わっていくからです。

ちょっとだけ詳細を説明します。ここは詳細にではなく、サラッと説明していきます。第一次世界大戦前史

ヨーロッパのバルカン半島(旧ユーゴスラビア)でスラヴ人が民族の統一を目指します。これをパン=スラヴ主語というのですが、これに対して、「スラヴ人の統一なんて赦さないよ。ゲルマン民族がヨーロッパを支配するよ」って考え方のパン=ゲルマン主義です。第一次大戦の前までスラヴ主義とゲルマン主義とで対立していました。セルビアの大きな後ろ盾が、パン=スラヴの親玉ロシア帝国です。

パン=スラヴ主義VSパン=ゲルマン主義です。

これによりバルカン半島で、2回戦争が勃発します。

第一次バルカン戦争 1912~1913年

オスマン=トルコVSバルカン同盟(ロシアを中心としたスラヴ民族たち) トルコの負け

 

第二次バルカン戦争 1913年

ブルガリアVSセルビア・ギリシア・モンテネグロ・トルコ・ルーマニア ブルガリアの負け

この流れで、第一次世界大戦の構図ができあがります。

20世紀初頭はヨーロッパが世界を席巻していました。世界史的に見れば19世紀から20世紀に掛けて、ヨーロッパがアジアとアフリカを植民地統治するような西洋列強の帝国主義時代でした。

堅い話になりそうなのでなるべく掻い摘まんでお話していきます(^_^)。

まずですねえ、第一次大戦というのは、世界大戦といってもほぼヨーロッパ世界のイザコザな訳ですよ。それが世界を巻き込んだ戦争になったのは、帝国主義時代だったかです。ヨーロッパ各国の要請で、世界中の国がしょうがない、ヨーロッパの戦争に参加していった訳です。

ここでちょっと大まかに、近現代史を図にします。

この図はあくまで後でする説明の確認表です。

読まなくてもいいので、さらっと目を通してください。

両世界大戦までの世界史の流れ

絶対王政と大航海時代

西洋列強の帝国主義時代

ヨーロッパ各国の世界分割が始まる

オーストリア=ハンガリー帝国のセルビアへの宣戦布告

ヨーロッパ内の戦争が植民地からも多国籍の人が参戦。世界大戦に発展

戦争終了し、多国籍連合軍の勝利

戦勝国アメリカの軍需景気/ドイツは敗戦国となり多額の賠償金を背負う

アメリカのバブルが弾けて、ニューヨーク株価大暴落

1929年からの世界大恐慌

世界不況により、ドイツ国民が不安定になり、ナチスが誕生し一部国民の熱狂的な支持をえて、ヒトラーが総統となる

ヒトラーをはじめとした、ファシズムが他国にも吹き荒れる

ヒトラーが東へ東へ進軍を続ける

各国は宥和政策を取り、ラインラント侵攻を許す代わりに、これ以上軍事拡張しない約束をする。

ヒトラー、約束を破ってポーランドに進軍する

世界を恐怖のどん底に陥れる

仕方がないのでイギリスをはじめとした連合軍がナチスドイツに宣戦布告

第二次大戦勃発

 

とちょっと長いので、この辺で区切ります。

本当に簡単に説明するとこういう流れになります。世界史上、最も人類が地獄をみた第二次世界大戦が勃発します


人類がこの世の地獄を見た第二次世界大戦

人類が、地獄を見たという表現は大げさではありません。

第二次世界大戦は、大量破壊兵器の導入と市街戦によって町が爆撃され、丸腰の各国の国民が犠牲になった戦争であること。ヒットラーが行った、あの人類史上最高の負の遺産であるユダヤ人逆殺(ホロコースト)が引き起こされた。また、ナショナリズムによる民族主義的な問題が人類に暗い影を落とした戦争になりました。

先ず第二次世界大戦の二つの主役と言っていいのがドイツとアメリカでしょう。これにスターリン政権下のロシアを含めた3国が中心となって戦後が勃発します。

話戻しますが、第一次世界大戦で恩恵を受けたのは戦勝国アメリカでした。

1917年の戦争終了と共に、軍需景気に湧き、ニューヨークのマンハッタンはバブル期に突入します。

これに反比例して、敗戦国ドイツは不況の時代に入っていきます。

第一次世界大戦の戦後処理で、パリ講和会議が開かれ、ドイツと国際連合の間にヴェルサイユ条約が結ばれて、ドイツは軍事制限を約束させられ、ラインラントという地域に軍隊を配備してはいけないという約束をさせられました。

それに加えて1320億マルクの賠償金を課せられます。ダンシチ(現在のポーランドグダニスク)が国連の管理下に置かれ、自由都市になります。

という具合に結構な不利な条約を結ばされ、1919年にドイツは当時、最も民主主義的な「ワイマール憲法」を発布して、民主政治へと舵をきっていくのですが、そこから何故、第三帝政と言われたナチス=ドイツが誕生したのでしょうか。

第一次大戦の賠償金を巡ってそんな大量の金返せるか、ということで、各国も少し緩和してあげます。軍需景気に湧いたアメリカがドイツに資本投資して経済を復興して、それから年次払いで少しずつ返してねという1924年のドーズ案が示されます。

そんな折りに1929年にアメリカのバブルがはじけます。日本のバブル崩壊と同じで、景気がバッと沸騰するといつかいきなり株価がさがるという現象に直面するのです。

これにより世界恐慌が起きていきます。

ドイツは踏んだり蹴ったりで戦争に負けて軍事的に制限されて、賠償金問題で借金はあるわ、こういうのって国民のなかに不安が萌しますよね。プライドは傷つけられるし、不況だし、何も希望が見えなくなって、この時が世界の模範的なワイマール憲法下の民主政治だったわけですよ

そんな情勢の中、ドイツ国内で一人の男が台頭していきます。彼は精神的に不安定な国民に向かって力強く宣言します。「強いドイツを取り戻す」扇動された国民の一部は熱狂的になりました。

その男こそアドルフ・ヒットラーです。ヒットラーは1919年にドイツ労働者党を結成しました。これが1920年に本格的に「国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)」の結成に繋がります。

ヒットラーってのは悪の化身みたいに言われていますが、大まじめに云って、本当に危険な思想をもってまして彼は次の理念を掲げて民主主義的に第一党にまで登りつめたのです。

大ドイツ主義

強いドイツを取り戻す。ドイツはもともと優れたアーリア人の末裔が創りあげた国であり、そのなかに紛れ込んだユダヤ人は劣った民族である。ドイツは純血を取り戻して、ユダヤ人を駆逐する。その上で、ドイツは軍事拡張と領土拡張を推し進めていくべきた。われわれは現実路線に立たなければならない。誰かが領土を与えてくれる訳ではない。ドイツ国民が強いドイツのために戦い続けてこそ、われわれは報われる。

こういう演説をめっちゃ迫力ある語り口調で行ったわけです。

でも、これって格好はいいですよね。冷静にみると危険な考え方である民族主義のイデオロギーをはっきりと明示しているわけです。

なんかアメリカのトランプも似たような感じですけど。ユダヤ人のような特定の民族であるメキシコ人を敵と見做して、対立構造を煽っているみたいな。

ヒットラーは、当時のワイマール憲法を逆手にとります。民主主義的な選挙に勝って政治家になり、民主主義的に政権を奪います。

そして国家緊急事態権を発動させた。

ここからが独裁になります。ヒットラーは、強いドイツを取り戻す、ドイツ人は純血を保つべきだ、ということをドイツ国民に煽って、ある一部のドイツ国民の熱狂的な支持を得ました。

これで与党になると、今度は「国家は緊急事態だから、民主主義的に憲法に則って権力を集中させるよ」ってことで、全権委任法を公布してここで独裁が始まるわけです。

また、ヒットラーは内政的には経済を立て直して、軍事拡張の野望を果たすべく、1933年国際連盟から脱退して、東にどんどんどんどん領土を広げていくわけです。1935年に再軍備拡張を宣言します。

ヒットラーがヴェルサイユ条約での賠償金も破棄、軍事縮小の約束を破棄して、どんどんどんどん東に侵攻していきます。それでラインラントにも進駐していき、オーストリアを併合して、今度はヨーロッパ各国にズデーデン地方の割譲を要求します。

もうグイグイ東へ東へ領土を拡大していったわけです。そしてとうとう、ズデーデン地方をよこせと恫喝までしてきたので、イギリスを初めとしたヨーロッパ各国は考えました。

それじゃあ、ズデーデン地方はいい。そこまでにしてくれ。というわけで、ミュンヘン会談で宥和政策が取られ、「じゃあ、ポーランドまでくるのだけは勘弁してね」ということになったのです。

ヒットラーは1939年1月に約束を破ってポーランドに侵攻していきました。

イギリス「ああ、もう駄目だ。こいつグイグイくるわ」ってことでイギリスとフランスはドイツに宣戦布告して第二次世界大戦が勃発したのです。

ちょっとかなり深くに至ってしまいました。


現在の世界のあり方は、ナチスドイツという反面教師の反省から

ドイツは、

1940年4月に中立国デンマークとノルウェーに侵攻

1940年5月にベルギーとオランダに侵攻

1940年5月には、フランスの防衛戦であるマジノ要塞を突破

1940年5~6月、今度はイギリスの防衛ライン最後の拠点であるダンケルクを包囲

このようにもう手が付けられないくらいドイツは強行に、東へ侵攻していきます。ヨーロッパはドイツに戦慄します。ここでムッソリーニ率いるイタリアがドイツ側に付きます。イタリアはここまで戦況をじっとみていたのです。ナチスドイツはほぼこの時点で無敵でした。

ヨーロッパ各国は、もしナチスドイツに屈してしまったらどうなってしまうのかわからない。未だかつてヨーロッパがこれほど一国に恐怖した経験はあまません。

古代から中世、近代に掛けてヨーロッパは各国の王朝や諸侯、教皇権力のパワーバランスで成り立ってきました。一国がこのようにヨーロッパを席巻したことはなかった。

そして、

1940年6月14日 フランスのパリが陥落します。

ここまで来ると、もう駄目だという訳で、イギリス国内が大混乱しました。フランスというヨーロッパの中心的な国の都市であるパリが陥落して、ドイツは止まるところをしりませんでした。

ヒットラーの野望は、もっと東へ向きます。

独ソ不可侵条約を結んでいたソ連に侵攻します。もうむちゃくちゃですね。ここでソ連が対ドイツ戦に参戦します。

しかし、ここから少し風向きが変わっていきます。

ドイツは短期決戦を想定してバルバロッサ作戦を決行します。目的は、カフカース地方の油田やウクライナの穀物でした。

しかし、この作戦が長引き、冬がやって来ます。ロシアという国には冬将軍という難敵がいました。冬になると尋常じゃないくらい寒くなります。過去モンゴル帝国やナポレオンも冬将軍に進軍を阻まれました。

このようにしてドイツは1942年スターリングラードの戦いで負けてしまいます。

1942年11月になりアメリカが本格的に参入して、イギリスと組んで独英米戦に発展。アメリカは北アフリカからノルマンディー上陸作戦を決行します。

1943年7月イタリアムッソリーニが失脚します。このときイタリアではムッソリーニが壇上から引きずり下ろされて国民によって処刑されます。

世界戦は、多国籍軍が優勢に転じ、1945年独ソ戦で

1944年8月にようやくパリが解放され

1945年に4月30日にヒットラーが自殺

1945年5月にベルリンが陥落し、ドイツが敗北します。

恐ろしいヒットラーの野望でしたが、良かったですね。危うく世界が恐怖政治に陥るところでした。

で、こういうことがあって、ドイツが解放された時にユダヤ人が大量に虐殺されていることがわかりました。

ナチスドイツがどれだけ恐ろしかった。この経験によって戦後世界は、ナチスを反面教師として各国の体制が確立されていきました。

二度とこのようなことがないように、自由主義陣営は政治体制を整えていきました。ただ、今度は社会主義陣営の方で恐怖政治が開始された。このような世界に変わっていきました。


現代の世界

そのあと戦後処理が行われ、ヤルタ会談によってドイツの分割統治が西ドイツと東ドイツにわかれて分割統治されていきます。この会談の時点で、まだ日本は太平洋戦争をしていましたから、ソ連が対日戦に参戦することが決定されました。

世界はその後、冷戦にはいって、自由主義の国と社会主義の国による国家体制が決定して、それぞれの陣営が代理戦争するようになります。

で、端的に言うと、現代の世界は自由主義の資本主義経済が主流になりましたが、第二次大戦の経験から、なるべく権力の一極集中はよくない。それからナショナリズムや民族主義のような思想に人類は敏感に反応するようになりました。

ですから多くの国で君主制よりも民主主義の方がいいだろ、ということで民主主義と基本的人権が叫ばれるようになりました。それから1950年代にアジア・アフリカが西洋の植民地主義から次々に独立していきます。

1960年アジア・アフリカバンドン会議によって今まで植民地だった国が、これからはちゃんと本来あった国家の形を明確にしていこうという機運が高まりました。

ヨーロッパでは植民地から次々に撤退していき、市場経済の統合が実験されECの流れからEU(欧州連合)が結成されました。

外交、安全保障政策の共通化と経済および通貨統合を行うほかに、EUの共通市民権の導入、そして欧州議会の権限強化などを決めました。

終わりに

現代の世界は、まだ2つの両世界大戦の負の遺産を抱えています。

なぜ、このようなことが起きたのか。民族とは、宗教とは、そしてナショナリズムとは何か? ということを人類は自問自答するようになりました。社会主義の所業を傍で見ながら、世界はどのようにあるべきかを民主主義国は今でも、ナチスドイツを反面教師にして考えています。

民族や宗教も、あるいはマイノリティーに対しても、ヒットラーの思想から、そういうのって認めていかないと怖いよね、という考え方が、世界倫理ではスタンダードになりました。

もし両大戦の「負の遺産」がなければ、未だに王政や対外侵略が横行した世界になっていたのかもしれません。今、多くの世界に生きる人が、国家とは、民族とは、そして宗教とは、ということをある程度、綜合的に見ることができるようになりました。そういう価値観がスタンダードになった。それにしても国粋主義者や宗教の過激派、イデオロギーなどはまだまだ人間の考え方のなかに根強く残っているんですけどね。

まあ、何も考えないで生きていけば良いなんてことないと思いますがね。


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