デカルト「我思う故に我あり」へ至る形而上学~哲学のとっかかり2

哲学とっかかり

はじめに

 

 

前回は、哲学を一個の果物と見立てると、「形而上学」が果物の芯の部分だという説明をしました。西洋哲学に貫かれている「形而上学」の始まりは「ギリシア哲学」です。

ちょっと難しいですけど、前回のお浚いをします。

https://tokakari.blog/哲学とっかかり/哲学の全体像/

非常に大ざっぱではありますが、プラトン(師匠ソクラテス)ーアリストテレスの理論が何故、西洋哲学の根幹をなすのか説明いたしました。プラトン「イデア論」の基本的な考え方は、存在には「真実」があるということの提唱でした。イデアとは物質(生き物を含めた)の真実の姿のことです。机のイデアには「質料」(ヒュレ)が含まれている。人は机を製作する時にできる限り机という存在を「イデア」(真実の存在)に近づけようとします。しかし人間は「臆見」(ドクサ)という色眼鏡で机をイメージするため、机のイデアを再現できない。「形相」(エイドス)=フォルムはわかるので、それっぽいものはできるが、イデアにはほど遠い。

愛は形のないものですが、机のイデア同様に「真実」があります。愛の「真実」はエロースとプラトン名付けました。

すべての存在者には「真実」あります。これが「形而上学」です。

アリストレテスは、プラトンのイデア論を批判的に継承しました。存在者の「真実」の姿である「イデア」は、真実の存在に成るべく動的に変化していっていると説きました。

アリストテレスの考え方は、存在とは「質料」(ヒュレー)を含んだ「形相」(エートス)のことであり、存在は「質料」(ヒュレ―)が目的(テロル)へ向かって運動しているというものです。

アリストテレスは、プラトンの提唱した「イデア」という真実の姿の核となる質料(ヒュレー)を含んだ形を「第一形相」と呼びました。

プラトンとアリストテレスの違いは、イデアは「真実」を含んでいるが、そこに到達するには人間が「臆見」(ドクサ)がありすぎるとプラトンは説きましたそれに対してアリストテレスは、そうではない万物は「第一形相」(イデアとほぼ同じ存在の真実)へ向かって運動しているのだと説きました。

存在している物には「可動態」(デュナーミス)、これもプラトンのヒュレ―・質料に相当するものが含まれていて、それが真実の方向へ向かって全体で流転していっている。世界は真実へ向かっているのだということです。それが完成された状態を「現実態」(エネルゲイア)と言いました。

存在者が最終的に行き着くイデア的「真実」を「純粋形相」や「神」(テオス)とアリストテレスは呼びました。哲学者木田元さんに言わせれば、「イデア論」も「純粋形相」も「真実」の姿をもつ究極の存在だという「形而上学」的な設定になっている以上、プラトンとアリストテレスは何も変わらないといいます。

ちなみに、西洋哲学は「形而上学」的な考え方がずっと貫かれています。これを始めて批判したのがニーチェでした。更にニーチェを引き継いだハイデガーが西洋哲学に貫かれた「形而上学」批判して、ようやく哲学の根幹問題からヨーロッパ人は抜け出しました。

今日は「形而上学」がデカルトの哲学にも貫かれているということと、その変遷をお話します。



「事実存在」と「本質存在」

「実存は本質に先立つ」という言葉があります。これはフランスの哲学者ジャン・ポール・サルトルの「実存とはヒューマニズムである」という講演の一説になります。

この「実存主義哲学」というのは、アリストテレスの提唱した形而上学を基礎として生まれた哲学の潮流であり、主な実存主義の哲学者は、キルケゴール、ニーチェ、ハイデガー、ヤスパース、サルトル、マルサスなどですサルトルなんて1960年代にフランスの学生運動で崇められた人物ですから、50年前くらいの人物です。

こういった第二次大戦後に真に人間的な生き方を提唱する運動の一翼を担った実存主義もアリストテレスの「形而上学」から生まれてきた潮流ですので、「形而上学」が哲学という果物の芯の部分であるという説明は頷けることだと思います。

そもそも「実存」(事実存在)とは何でしょう?

 

彼もまた、プラトンが区別した「形相」によって規定される存在(……デアルという意味での存在)と「質料」によって規定される存在(……ガアルという意味での存在)とを、「それが何であるかという存在」(ト・ホ・エスティン)と「それがある(かないか)という存在」(ト・ホ・エスティン)という言葉で概念化してみせています。アリストテレスのこの二つの存在概念が、のちに中世のスコラ哲学者の手で、「本質存在」(エッセンティ)と「事実存在」(エクシスティティア)というラテン語に定着されることになるのです。

「反哲学史」木田元より

まあ、よく日本人が本質、本質言ってますけど、本質とは人間一般に見られる共通した性質のことです。例えば、「人間はみんな善悪両面を持ち合わせる」とか「人間は誰しも愛を兼ね備えている」とった人が共通してもつ何かを差します。

それに対して「実存主義」の事実存在(実存)は、個人が持ち合わせている個々の「性質」のことです。木田元さんの解説だと……デアル」という「事実存在」……ガアル」という「本質存在」に分けて語られています。

ここでまた、ちょっと入り組んだこと言います。

「実存は本質に先立つ」の言葉道り、「実存主義」は先ずその人個人ありきなのです。本質よりも事実存在があってこその人間でしょ、というわけです。つまり人は生まれながらに男や女ではない。実存が先に立っているために、人は男や女になっていくのです。

それは個人的な存在の問題なのです。

ボーヴォワールというフランスの哲学者はサルトルを受けて「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」と言っています。

つまり、「実存主義」は、個人的な事情が先でしょ。本質はその後だという主張です。

裏を返せば、アリストテレス以降の「形而上学」をサルトルは批判したとも言えます。



アウグスティヌスとキリスト教神学が「新プラトン主義」と融合した。

西洋諸国の古代史は、知っている人であれば分かるともいますが、結構、紆余曲折がありました。ギリシアの都市国家が勃興したと思ったら、アリストテレスの教え子であるアレクサンドロス3世がアケメネス朝を開き、広範囲にアジアまで領土を拡張しました。その後に、ローマ帝国が覇権を握り、4世紀には今度はゲルマン民族がヨーロッパに押し寄せて、こうして先住民とゲルマン人の融合された形が今の西ヨーロッパなのです。

ギリシア都市国家の形成

アケメネス朝ペルシアの領土拡張

ローマ帝国の覇権

フン人に圧されてゲルマン民族がヨーロッパへ移住

本当簡易的な説明ですけど、この中で、ローマ帝国時にキリストが生まれ、更にその教えを受け継いだペテロとパウロを中心にキリスト教が設立され殉教の後に信者を獲得していきます。

この過程で、キリスト教が弾圧されまくるんですけど、すったもんだありましたて、313年にキリスト教はローマのコンスタンティヌス帝の時に公認されります。この時を境に、ヨーロッパはキリスト教文化圏になっていったのです。ただ、この時はまだ、公認されだけで、他のユダヤ教などと同等の宗教だったのですが、392年にテシオドス1世の時に国教になります。

かなり簡易的なキリスト教の歴史説明ですが、ここは哲学の記事なので先に進みます。

西洋文化は「形而上学」に繋がれていますが、同時に「キリスト教」にも繋がれています。

近代までの西洋文化=「形而上学」+「キリスト教の教義」

キリスト教がローマ帝国時代に国教になった後に、ローマ=カトリックの指導者たる司教たちは、急激に権威が上がったために、それまでのヨーロッパ人の考え方を踏襲して、新しいキリスト教哲学を体系化しなくてはいけなくなりました。

つまり、キリスト教の神学とそれまでのヨーロッパ人(ギリシアやローマ帝国)が培ってきた考え方がここで融合します。それまでのヨーロッパの思想を彩っていたのが「新プラトン主義」でした。

「新プラントン主義」は、「当時エジプトのアレキサンドリアにいたプロティノス(204~269)によって、おそらくはユダヤ神秘思想の強い影響下に、神秘主義的色彩の濃い新プラトン主義に改正された」木田元「反哲学史」より

こういうことです。それまでユダヤ神秘主義の元にプラトンの「形而上学」がヨーロッパの基本的な考え方になっていたのです。つまり「イデア論」です。存在者には「真実」があるという。

これを統合したのがキリスト教徒のアウグスティヌスなのです。

系譜を示しておきます。

哲学「形而上学の系譜」

1,プラトン(ソクラテス)のイデア論

2,アリストテレスの「第一哲学」の「第一形相」

3,「ユダヤ教神秘思想」とプラトン主義の融合「新プラトン主義」

4,「キリスト教思想」と「新プラトン主義」の融合

a,「プラトンーアウグスティヌス主義」

b,「アリストレテスートマス主義」

c,「ルネッサンス」から「機械論的な自然観」(コペルニクスやケプラー)

5,再び「形而上学」をもってきたデカルトの「我思う故に我あり」(明晰判明)

経験主義からのアンチテーゼ →カント哲学ヘーゲル「弁証法」哲学→ この「形而上学」への批判=ニーチェ、ハイデガー、マルクスなど

こんな風になっているのです。わかりやすいでしょ? 結局、哲学とは「形而上学」が根本にあるのです。



「プラトンーアウグスティヌス教義」体系からスコラ哲学へ

キリスト教が国教になり「教父」と呼ばれるキリスト教布教者が、「新プラトン主義」を踏襲して、キリスト教を布教しました。教父哲学の完成者がアウグスティヌス(354430なのですが、どんな教義かというと、こういうものです。

プラトンの2世界説という「神の国」とわれわれが暮らす「地の国」とを分けて考え方になります。それは、キリスト教の唯一の神が、創造した世界が私たちの今いる世界であって、神の国は別にあるという考え方です。つまり人間の世界と神の世界は隔たっている、という考え方です。

存在者の「真実の存在」たるイデア論、アリストレテスで言えば「第一形相」が「神の被創物」に基礎づけられた体系になるのです。これにより「イデアは神の理性(ヌース)に内在する観念と考えられる」(プラトン)という「形而上学」と神との融合がはかられます。

神は「人格神」となって、神秘主義的な感じになっていきました。

このように体系づけられた「キリスト教神学」が大移動してきたゲルマン人と、これまでヨーロッパにいた人たちが合わさった新ヨーロッパ人の主要な考え方なっていきます。

それまでのギリシア都市国家ローマ帝国の文化がゲルマン民族たちと統合され、それをまとめ上げる国教が必要となりました。それをキリスト教が担ったのです。このときにはすっかり「新プラトン主義」を踏襲していたキリスト教は、「プラトン-アウグスティヌス教義」体系に不具合が生じました。

「神の国」と「地の国」、「恩寵」と「秩序」、「自然」と「秩序」、「教会」を「国家」などの2元論では、地上の世界たるわれわれの国の秩序のあり方が説明できなくなったのです。「プラトンーアウグスティヌス主義」では、人間と神が隔たりすぎて、キリスト教会が権威を持つためには世界は神と繋がっている、という思想にシフトする必要がありました。

そこでトマス・アクィナスが「スコラ哲学」を提唱しました。いわゆる万物は「可動態」(エネルゲイア)によって存在者は神の恩寵の元にある。もっと神を人間に近づけたのです。神と人間との関係が非連続な関係ではなく、連続した秩序を保った体系に作り直し「キリスト教会」が権威をもてるように整備しました。

ここで登場したのが「アリストテレストマス」教義です。この教義を「キリスト教正当教義」とすることで、中世から近代にかけて、教会の権威が高まってきます。

キリスト教神学から科学へ

キリスト教神学の体系が、確立されていくなかで、ヨーロッパは歴史的な転換点に差し掛かり、ルネッサンスの時代を迎えます。

ルネッサンスの時代、イタリアのフィレンツェを中心に「人間精神の革新的な文化運動」として人間の個性の尊重と「現実世界の全面肯定」により合理主義精神が発揮されました。

ヨーロッパが古代に辿った「新プラトン主義」や「キリスト教神学」が、今度は現代科学の基礎をなすルネッサンスの時代にいたり、キリスト教の神という神秘主義と合理的な現実主義が融合していくことになりました。

このような潮流のなかで、コペルニクスケプラーなどの天文学が「機械論的な自然観」を提唱してきました。宇宙の摂理も機械のように歯車のように回っているという考え方です。このような機械論的な考え方は自然は単純な機械のようなものであるという信条から、キリスト教的な凡心論を残していました。

これルネッサンス後半になると、擬人論的・機械的な科学観から、もっと物質や宇宙は複雑なものであるという現代の科学的な見方に変わってきて、そんな時代にデカルトが登場します。



デカルトの「明晰判明」コギトエルゴスム「我思う故に我あり」

 

デカルトの第一哲学への「省察」

まず第一に、自然研究と数学との結びつきが必然的なものであるということの論証

第二に、この必然性を論証するということは、自然を徹底して量的な見るということになり、それは、自然を質的にみてきた従来のスコラ哲学的な考え方と対立することになるわけだが、それにもかかわらず、それがけっしてキリスト教の信仰と背馳するものではない、という論証です。

「反哲学史」木田元より

デカルトは、ルネッサンス以降の合理性の追求からもう一度「形而上学」に論理を戻します。

自然研究と数学は、人間精神一般に備わる「普遍構想」という、神から与えられた自然の摂理を知ることのできる人間精神というものを土台に哲学していきます。

デカルトは心身を分けて考えました(心身二元論)。

この論証から「方法的懐疑」というすべてを疑って見るという方法をとり、まず外的感覚器官である五感を疑いました。わたしたちも時々考える、この世は実はコンピューター世界に埋め込まれた仮想現実なのでないか、という例のあれです。

肉体も実はなくて、感覚も埋め込まれたもの。さらにデカルトは、それでは信じ切っていた人間の感覚器に備わる数学的な認識も偽の可能性があると考えました。

ん、待てよ。ということは天地を創造した神が用意したもの全てが偽りだとしたら。うわー何も無い。全て何もないかもしれない。

しかし、デカルトはある一つの結論に到達します。

コギトエルゴスム「私はすべてが偽りの世界に住んでいるのかも知れない。しかし、一つだけたしかなことがある。それは『私は今現在、私を意識している』。これは紛れもない事実であり、いくら全てを否定できたとしても、私という存在は揺るぎない存在である。何故なら-」

 

我思う故に我あり(コギト・エルゴ・スム)

 

おわりに

という流れで、デカルトは「形而上学」を取り入れながらも「方法的懐疑論」によって、明晰判明を行いました。

次回は、もう少しデカルトのお話を続けて、ロック、ヒューム、バークリーの経験論哲学から、それらを批判的に踏襲したカントのドイツ観念論哲学までをお話しします。

いやー、骨が折れますねw

しかし、デカルト考えすぎじゃないですか? ああ、でも日常でマトリックスの話みんなしてますね。実はこの話古いんですw

だいぶ、話入り組んできましたけど、哲学とはこういうものです。また「形而上学」は哲学の一流ではありますが、ほぼ出発は形而上学からです。そして、どんな哲学でも「形而上学」を経由します。

まさに、「形而上学」は、哲学という果物の芯であるのです。



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