とっかかり断捨離~ミニマリスト元年~

宗教のとっかかり

はじめに

断捨離って言葉ができたのっていつでしょう。

そこのところよくはわかりませんが、まあ少なくとも20年前にはなかった言葉ですね。

僕もフリマアプリ大好きです。メルカリとラクマはめちゃくちゃやってます。だいたい1ヶ月に1万以上は物買ってますね。今月も好きなブランドのパンツ2本とスカーゲンというブランドの時計を買いました。3つ合計で5000円いかないくらいでした。先月もTシャツ2枚とiPhoneの携帯用充電池大容量買いました。

安いですね(^_^)

僕の場合、服は2シーズンくらい、パンツ(ズボン)は3シーズン着回します。そのくらい着回すと、もう売れませんね。売っても良いけどボロボロで、色あせしてクレームくるんじゃないかって。

学生時代はよく学生クレジットで丸井とかパルコで服買ってましたが、もうあんな高い服買いませんw

全部古着です。もっぱら、セカンドストリートみたいな古着屋かフリマアプリですね。

何か、僕、物買ってますよね。逆ですねw

まあ、断捨離のみならず「物を最小限にもつ主義」みたいなミニマリストという言葉も使われるようになりました。

物を所有する、土地や家を所有する、恋人や結婚相手を所有するって考え方を少し見直そうっていう運動みたいなものですよね。

「所有する意識」を抱くと、何か人間って変わりますよね。特に、人間を変えるのはお金ですね。あれこそ人を変えます。それにいきなり人間付き合いが増える。まあゆすりたかりじゃないですけどw

でも金がある人間の所にみんないきますよ。

何かいきなりやらしい話してしまいましたけどw

それで、今日は「断捨離」「ミニマリスト」の根本的な意味を探ってみたいと思います。

一読頂ければ、ちょっと考え方が変わるキッカケになるかもしれません。


人間が自然を支配し、「所有」するという概念を持つようになったのはいつか?

人類は現在まで自然を支配していきました。

自然を支配するとは、自然法則や宇宙の摂理、物質の研究など科学的な視点を駆使して、万物を支配しようとしてきたのです。

支配したいとかすべてを知りたいという万能観や知的欲求は実際に、多くの点で全ての物事を支配してきました。自然の全てを支配しきれたわけではないですが、人類は、物事を知り尽くすことで万物を「支配」することから「所有」することへ生活が変化していきました。

始まりは、エジプト人が太陽の1年の周期を長年記録して、1年が360日くらいだという太陽暦を発見した時からです。

古代エジプトでは、ナイル川の氾濫が起きる時期と水が引く時期があり、川が氾濫したあとの土壌を利用して肥沃な土地に農作物を植えて莫大な食料を蓄えることに成功し、この地に文明が栄えていきました。

農業ってやったことないんですけど、親父が定年後に趣味でやってます。それで、1年2年と農作物が取れるのですが、土地ってどうしても数年で枯れてしまうらしいのです。毎年、土に肥料をやって、土地を耕さないといけないらしい。そのために牛糞とか肥料を買ってました。

その点、エジプトのナイル川の流域では、ある決まった時期に川が氾濫して、水が引くと栄養分たっぷりな自然にできた用土が用意されていた。そこに麦みたいなもの植えてたらしいです。毎年、肥沃になった大地から農作物がものすごくいっぱい取れて、そうなると人が集まってきますよね。

昔だから食料があるところに人が集まるわけです。それで都市とかができて、文明が栄える。

世界史で出てきた4大文明、エジプト、メソポタミア、インダス、黄河の各文明には、それぞれ川が側にあります。メソポタミアにはチグリス・ユーフラテス川、インダス文明にはガンジス川、それから中国黄河文明には黄河と。

「エジプトはナイルの賜物」とは、このことです。

それでですねえ、この川の氾濫に対して昔のエジプト人は、氾濫の正確な時期を知りたかったわけです。

そうやって彼らは太陽を刻銘に記録してみました。

すると、太陽が一番長い時間空に昇っている(夏至)時間と、一番短い時間(冬至)を発見し、1年の周期を発見しました。これを「太陽暦」と云います。

それでメソポタミアでは、夜の月の形を調べ初めました。月の満ち欠けが29.53日であることを突き止め、これで1日と1年と1月という概念を発見したのです。太陰暦ですね。

メソポタミアでは、1週間も発見されました。

こうして人類は、自然法則を理解するという「所有」のとっかかりを手に入れたのでした。

人類のドメスティケーション

現在読んでいる本に「哲学と宗教 全史」出口治明があります。

その初めの方に「人間の突然の変化、ドメスティケーションと宗教の関係」というチャプターがあり、ドメスティケーションという言葉について考察しています。

ドメスティケーションとは、要は自然にあるものを支配して、すべてを人間の都合の良いように変えていくって意味らしいです。

例えば家畜の飼育をして、食用にするため乳製品を作るために、それに適した餌をやって太らせるとか、農作物を品種改良していって、人間の都合のよい作物に変えていくとか、例えば兵士を屈強な戦士にするために子供の頃から教育していくとか、そういう「飼育、順応、教科」を人間の手で意図的に行っていくという学術用語だそうです。

人類はもともと、狩りをして食料を調達していました。所謂、狩猟採集生活です。

ハンドアックスみたいな木の棒に石を括り付けて武器にしたり、小さな矢尻をつくって獲物を仕留めたりしていました。この頃の人間は、みんな移動しながら獲物が多い地域に移りすんで生活していました。

恐らく、この時代に「所有」という概念や執着はそれほどなかったことでしょう。ただ獲物を仕留めて食べる。何か物があってもみんな共有して使っていたのではないでしょうか。

で、こういう時代の人をノマドといいますが、「ミニマリスト」の考え方もノマドと繋がっていますね。「所有」しない。ノマド生活のように人間大昔に戻ることはできないけど、その精神性を見習うことはできる。もしかしたら、「断捨離」という考え方により、執着心がなくなって人間らしさを取り戻せるかもしれない。

話を戻しますが、人類はいつしか「所有」するという観念をもつようになります。このボールペンは誰のもの? 今いる土地は誰の土地、あの女の人は誰のもの? などということを明確に決めていますね。

これは、そもそも人間がノマド生活をやめて、肥沃な大地に定住して、農作物を蓄え始めたところに遡ります。所謂、財産の所有の観念です。


支配欲求と所有の考え方

「哲学と宗教 全史」出口治明の本に書かれているのはこういうことです。

「こうして人間は定住し始めました。植物を支配する農耕に始まり、動物を支配する牧畜、さらには金属を支配する冶金と、植物、動物、金属、すべてを人間が支配するようになりました。ドメスティケーションは、狩猟採集生活から農耕牧畜生活への転換だったのです」

「哲学と宗教 全史」より

 

それでこの本は、人間が全てを支配しようとしてきたのと同時に、宗教も生まれたというのです。自然を支配する傍らで、その壮大な摂理に対して、「神」の存在を意識するようになっていった。

宗教の始まりってアニミズム信仰からっていう言い方しますけど、人類は自然の摂理を捉えるのと同時に、自然に恐れも抱いていたんですね。

物やお金を「所有」しながら、一方で自分たち人間は何か、壮大な神の下に位置している。自分の力の及ばない、強大な力が働いていて自分たちは小さな存在なんだと。

だけど、考えてみると生き物なんてみんなか弱い物ではないですか?

例えば蟻やてんとう虫なんかの小さい存在は、大きな生き物に踏みつぶされてしまう可能性は高い。それを云うなら、人間だってライオンだって、または恐竜だって、自然災害があればその身を自然が掻っさらわれてしまうんだから。どんなに大きな物であっても所詮、宇宙空間のほんの小さい塵みたいなものですよ。

人間は知能を駆使して、物事を探求して自然に対抗する術を得たけど、自然を破壊することはできない。地球を破壊したら生き物自体生きてはいけない。支配しても支配しても、結局、共存していくしかない。自然は敵ではないのです。

それで「所有」しないということは、所謂「エコロジー」の一環なんでしょうね。人類はあまりに色々な物事を多く手に入れてきた。「無所有」を実行するなんて実質不可能じゃないですか?

物やお金を持たないで生きるなんて。少しくらい何かあった時にお金ないと困りますよね。だけど、完全に所有しないということはできない。それでも、意識を変えることはできる。極力エコに生きるというのは人類の課題なのですね。

禅マインド

所有しない生き方って難しいですけど、人はどこまで物を持たずに生きていけるのか、それからどのくらいの人が「エコロジー」に目覚めるのか。一部の人が「断捨離」や「ミニマリスムを実行しても何も変わらない。

そういう意味で仏教って宗教にしたら珍しい考え方してますよね。

なんて言うか「自然と一体になる」みたいなイメージ湧いてきませんか? 荘厳な宇宙と一つになるとか、瞑想とかマインドフルネスやヨガによって精神(マインド)を変えていく試み。

「断捨離」だって、仏教とかヒンドゥー教のイメージから来ているんじゃないですか。

エコロジーに生きる。自然性とか野生的な精神性を取り戻すみたいな。

それで禅の考え方って、どんなものだろう? 何となくイメージしている「エコロジー」的な考え方で合っているのかなあって思いませんか?

禅と云えば、日本では「道元」が第一に上げられると思います。他にも「栄西」「黄檗」「良寛」とか「一休」なんてのもいました。

で、実際この人たちは「禅」に関してなんて言っているのか。

ちょうど手元に「正法眼蔵随聞記講話」があります。読み進めていくと、まさに「エコロジー」ですね。

「正法眼蔵」とは禅の第一人者「道元」が書した本です。「正法眼蔵随聞記講話」とは、「道元」の2歳年下のお弟子さんが、「道元」に質問して書した「随聞録」です。

それから禅といえば、学者の井筒俊彦さんの「意識と本質」って本がありますが、それにも「道元」について記された箇所があります。

水清くして地に徹す、漁行きて魚に似たり。空闊くして天に透る、鳥飛んで鳥のごとし 「正法眼蔵」(坐禅蔵)

まさに自然ですよね。

やっぱり「禅」てエコロジーなんですね。井筒俊彦が云いたいのは、意識を無化して考えるのが「道元」だそうです。意識を無化とか、ちょっと難しいですが。人間が物を見る時、自分の色眼鏡で判断してしまいますが、それを「消去」しろというのです。

でも何となくはわかりますよね。意識的に自分の視点とか見え方を壊して、もう一度みてみろ、と。まあ、云うは安いけど。

意識的に自分の見え方を壊して「カオス化」してからもう一度ものをるって「無所有」にも通じていませんか?


おわりに

「所有」するってことから離れるのは、僕には無理です。

お金を全部寄付して、自然と共に生きられるかというと、無理ですねw

人間が5000年くらいかな、自然を支配して「お金」を蓄えながら生きているのって。それが最近では「エコロジー」とか「断捨離」とか「ミニマリスト」とか、西暦も2020年を迎えて、マインドフルネスとかヨガも一般的になりました。

2020年は、コロナウイルスが猛威をふるった年でもありましたが、まだまだ何かありそうな気がしませんか? 自然に帰ろうとする人間も増えてきて、要はバランスなんだと思います。「所有」しないのもするのも、極力自然の大きな力に逆らわず、自然と同じ方向性をくみ取って生きる。そういう時代に入ってきたのではないでしょうか。


タイトルとURLをコピーしました