日本でイスラム教というと、中東でのイスラム教過激派の報道が頭に浮かぶという人も多いと思います。タリバン政権、イスラム国、スンナ派、シーア派、厳格な戒律、モスク、ジハード、いろいろなイメージ浮かぶと思います。
僕がイスラム教を学びはじめたのもここ10年くらいのことで、主に思想家井筒俊彦さんの著作の影響をうけています。7,8年前にクリストファー・ロイド「137億年の物語 宇宙が始まってからの全歴史」という本を買ってから、イスラムの成立についての基礎を学び、その後も何冊か図書館でイスラム教の本を借りて読みました。
イスラム教の教義って特殊ではありますが、なかなか歴史があって、興味深いとお思います。古代から東西の交易を支えたのもイスラム商人(主にアラブ人)でした。教義が厳格なイメージが強いイスラム教ですが、知的にもビジネス的にも非常に長けたているのが特徴です。
イスラムの教義や誕生の歴史・中東問題まで切り込んでいこうと思いますのでよろしくお願いします。なお、私はイスラム教徒ではないので、コンセプトとしては「大人が教養として最低限知っておくべきイスラム教・基礎として網羅的に扱うイスラム教」ということで述べていきたいと思います。
イスラム教とユダヤ・キリスト教の関係性
イスラム教の成立は西暦で言うと7世紀初め。世界3大宗教の仏教、キリスト教、イスラム教の内、一番最後に成立した宗教でした。一番古い順に、仏教の釈迦牟尼が生きたのが(紀元前4~5世紀)、キリスト教のイエスは西暦0年(諸説ある。紀元前の説あり)、そして最後に現在13億人いるイスラム教が7世紀に誕生しました。
イスラムを教を知る上で、ユダヤ教やキリスト教について知っておかなければなりません。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は同じ神を信仰している一信教です。ユダヤ教とキリスト教については、基本的なことを記事にしましたのでご参考までにどうぞ。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は一神教です。
そもそものはじまりは、ユダヤ教の聖典である「旧約聖書」にあります。キリスト教の聖典に「新約聖書」がありますが、この聖典は預言者であるイエスの教義をまとめたものです。ユダヤ教徒は「新約聖書」や「旧約聖書」なんて呼び方はしません。「タナハ」(=旧約聖書)という呼び方をして、「新約聖書」もイスラム経典「コーラン(クルアーン)」も認めていません。
しかし、キリスト教とにとってもイスラム教徒にとっても「旧約聖書」(タナハ)は、人類の原点なのです。神は6日で天地を創造して、7日目に休息日を儲けた。それ以後の人類の歴史である「エデンの園」「カインとアベル」「ノアの方舟」などは、キリスト教徒にとってもイスラム教徒にとっても、真実になります。
「エデンの園」において、人類の祖であるアダムとエヴアが神の言いつけに背いて、禁断の実を食べたことで、神は二人を楽園から追放した。これが人類の「原罪」になります。この「原罪」以後、地上に散らばった人類を神は見捨てませんでした。
神は地上に、神の身使いである預言者(救世主)を、その都度使わします。間違った方に進む人類に対して、神は自らの意志を預言者を通じて啓示します。イスラム教徒にとって、神の啓示を一番最後に人類に伝えたのがムハンマドになるのです。そして、その神の啓示を纏めた聖典を「コーラン」と言います。
イスラム教の開祖である「ムハンマド」は、「ノア」や「アブラハム」「モーセ」そして「キリスト」よりも「ムハンマド」が最新の神の啓示を伝えた預言者になるのです。
イスラム教の成立
ムハンマドが生まれたのは、ちょうど現在のサウジアラビア。サッカーの試合を見ていると、よく出てくる中東の雄ですよね。現在の中東の西、アフリカに最も近いアラビア半島にサウジアラビアが位置しています。イスラム教の聖地メッカも、その次の聖地メディナもサウジアラビアという国の中にあります。
中東情勢も過激さを増していますが、特別、サウジアラビアだけは戦争に巻き込まれたりしてませんよね? このサウジアラビアは、イスラム教の聖地が集結していることからもわかる通り、中東のイスラム諸国家からは一目置かれた存在なのです。
サウジアラビアの王朝であるサウード家は、イスラム教スンナ派でありワッハーブ主義の権威なのです。中田敦彦YouTube大学の「中東国際情勢」の解説を視るとよくわかります。例えば、UAE(アラブ首長国連邦)という国は、首長国の連邦国家なのです。首長とは、ワッハーブ主義の権威サウード家の王朝ほどの地位はない首長の共同体なのです。
そんな砂漠地帯の現サウジアラビアで生まれ育ったムハンマドですが、彼はクライシュ族という一つの交易商人の一部族のハーシム家の名門の家に生まれ育ちました。15歳差もあるハディージャという姉さん女房の婿養子に入りました。
西暦610年に、ムハンマドは突如としてヒラー山の洞に入り、神の啓示を受けます。
大天使はムハンマドにこう告げたー神は唯一の存在であり、地上ではなく天におられる。神はこれまでにも、アダム、アブラハム、モーセ、ヤコブ、ヨセフ、エリヤ、イエスなど、50人以上の預言者に言葉を授けてきたが、人間は、あるときやむをえず、またあるときは故意に、神の言葉を歪め、誤った結論を導いた。そうして誕生したのがユダヤ教やキリスト教である。それらは唯一の神という真理に基づいているが、間違った方向に進み、偽物の宗教になってしまったのだ。
クリストファー・ロイド「137億年の物語 宇宙が始まってからの全歴史」より
ムハンマドの生涯
かなり長いっすね。イスラム教も物語的にはかなり複雑です。
結論から言うと、ムハンマドは何回か「聖戦(ジハード)」をしてほぼ勝っています。それにより、イスラム教がユダヤ教よりも神に守られていることが人々に知らしめられるのです。
かなり簡易的に解釈すると、ムハンマドは「預言者」として最新である。それから大天使ガブリエルの啓示である戦いにほとんど完勝している。これだけで、一神教の物語としては、かなり説得力をもってムハンマドは結果を残しているのです。
イスラム教の教義の基本「六信五行」
ムハンマドは、40歳の時、初めて大天使ガブリエルを介して神の啓示を受けます。その後、自分が神から選ばれた人間と神との仲介役である預言者だということを自覚します。
メッカで布教を始めたものの、この地で獲得できた信者は200人ほどであり、当時のアラブ社会では、部族意識が強く自分の子供がムスリムに組み入れられるのを世俗は嫌いました。そう言った経緯から、当時の有力者からも疎まれて、ムハンマドはメッカで迫害に遭います。
そこで信者をエチオピアなどに逃がし、619年再びムハンマドは神の啓示を受けます。
ムハンマドはジブリールが連れてきた天馬ブラークにまたがると、天空を駆けてエルサレムまで飛んだ。エルサレムに着くとアクサ・モスク(至遠のモスク)で礼拝した。
礼拝が終わると、ムハンマドはモスクに隣接する聖なる岩山から天に昇り、ジブリールの案内で天界を巡った。
第一天で人類の始祖アダム、第二天でイエスとヨハネ、第三天でヨセフ、第四天でエノク、第五天でアロン〔モーセの兄)、第六天でモーセと邂逅した。
ジブリールはこれより先の昇天を許されないため、第七天にはムハンマドがひとりで昇った。そこにいたのはアラブとユダヤの始祖アブラハムだった。そしてさらに果てまで連れて行かれると、そこには主=アッラーがおられた。
雑誌「一個人」(イスラム教入門〕2012年140号より
ここでムハンマドが受け取った啓示が、今のイスラム教の基本的な作法である「六信五行」になります。これが、イスラム教徒にとって、唯一最大最新の神の啓示になります。
六信アッラーの存在を信じること天使の存在を信じること「啓典」(クルアーン=コーラン)を信じること預言者を信じること未来を信じること「定命」を信じること五行シャハーダ(信仰告白)サトーラ(礼拝)サウム(断食)ザカート(喜捨)ハッジ(大巡礼)
イスラム教の基本的な考え方
イスラム社会というものは、、近代から続いている民主主義国家とは異質な色合いがあります。
まず、法律ですが、西洋や日本の法は立法機関によって定められていて、宗教的な色合いはないです。しかし、イスラム教の法は唯一絶対神アッラーの啓示によって形作られ、社会の決め事もイスラム法というシャリーアをそのまま社会的な法律に当てはめています。
その中で、ムスリムが守るべき「六信五行」は生活規範や慣習そのものになるのです。
特に「六信」の「定命」に関しては、人間の自由意志は、予め創造主アッラーによって定められていて、自分たちが自由意志で何でも選択できるわけではありません。われわれの「基本的人権の尊重」や「発言の自由」はイスラム社会では通用しないのです。
イスラム教における五行は、彼らにとって生活習慣の一部に組み込まれています。
アラビア語で「アッラーの他に神はなし、むはんまどのアッラーの使途なり」と唱える信仰告白(シャハーダ)に始まり、1日5回、メッカの方角に礼拝する「サラート」。また、新月から新月までの約一ヶ月間(ラマダン=断食月)に、飢えて苦しんでいる人の苦しみを体験するという「サウム」。そして信者自らが率先して行う「ザカート」(喜捨)で集められたお金は、主に慈善事業に使われ、ザカートに関しては、かなり立派な社会活動であると思います。
最後に、大巡礼(ハッジ)ですが、これはお金に余裕がある者がメッカに巡礼するもので、それはそれは壮大な祈りの儀式だそうです。ちなみにイスラム法で、借金がある人は行ってはいけない決まりになっているそうで、もしハッジをするなら借金は全て完済してからでないと駄目だそうです。大巡礼に関しては、一生に一度行けば良いくらいの大規模なイベント事で、差し詰め日本で言えば江戸時代のお伊勢参りといった所でしょうか?
大まかに説明しましたが、これらにはそれぞれ細かい決め事があり、興味のある人は少し調べてみては如何でしょうか?
偶像崇拝について
基本的なことですが、一神教で偶像崇拝が赦されているのは、「ローマ=カトリック」教会だけです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%81%AE%E5%8D%81%E6%88%92
ウィッキペディア「モーセの十戒」
ローマ=カトリック教会と決別した「ギリシア正教会」(のちの「東方正教会」)は、この預言者モーセの十戒を巡って対立しました。モーセは確かに「偶像崇拝」を禁止しているのにも関わらず、当時の「カトリック」は、都合上、「偶像」を崇めることを許可しました。
これは「東方正教」「プロテスタント」に限らず、「ユダヤ教」も「イスラム教」もモーセの言いつけを守っています。「カトリック」は中世に天国切符である「免罪符」を売り出すことで、「プロテスタント」が起こってますし、少し緩いかなって感じるのは僕だけでしょうか?

下の図は、もちろん「カトリック教会」のものです。
おわりに
イスラムってこんなもんじゃないっす。もっといっぱいエッセンスがあります。
ですので、何度かにわけることになります。イスラム教にも哲学があるんですよ。
それについてもお話します。それでは第二回で。