キリスト教入門篇1〜日本人が知っておかなければならない世界宗教

宗教のとっかかり

はじめに

宗教のとっかかりシリーズはじめます(^_^)。

みなさんは世界でもっとも人口の多い宗教を知っていますか? だいたいこれってみんな知っているのではないかと思いますが、そうキリスト教です。現在キリスト教信者は、約20億人いるとされています。第二位のイスラム教信者が11億9000万人ですから、かなりの数に上りますね。

まあ、例によって「世界宗教」でググってみました。

世界の宗教の信者数

キリスト教 約20億人(33.0%)

イスラム教 約11億9000万人(19.6%)

ヒンドゥー教 約8億1000万人(13.4%)

仏教 約3億6000万人(5.9%)

その他の宗教 約9億1000万人(15%)

無宗教  約7億7000万人(12.7%)

 

世界宗教とは、それぞれの民族・部族による土着の信仰を中心とした民族宗教に対比されたものだということです。

世界宗教民族宗教の境界は、曖昧な部分が多いですけど。その他の宗教はだいたい民族宗教で、その土地土地で限定的に信仰された宗教で、日本の神道も民族宗教の一つです。

世界宗教とは、一般的に、キリスト教、イスラム教、仏教を指して言います。

 

今日取り上げるキリスト教ですが、基本難しい話よりも、日本人が最低限知っておくべきキリスト教の思想信条についてお話していきたいと思います。

ヨーロッパのユーロ圏の人々がどのような考え方をしていて、キリスト教がどのような宗教で、どういう慣習(エートス)があって、日本人はどう付き合って行くべきか。または、キリスト教徒が神を通じて、日常、何を考えているか、日本人はキリスト教圏の人に対して、してはいけないようなタブーはあるか、と言うようなことを掻い摘まんでお話していこうと思います。


キリスト教は一神教であり、キリストは神の子である

今回は、非常に大ざっぱに話を進めていきたいと思っています。

宗教はシリーズ化致しますので、キリスト教についても他の主題でまだまだ取り上げていきます。あまりにあっさりしていると思われる方もいるかもしれませんが、悪しからずご了承ください。

なお、今日のお話の参考文献は「キリスト教の歴史」小田垣雅也「137億年の物語~宇宙が始まってから今日までの全歴史」クリストファー・ロイドを中心にしております。

まず、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教は、同じ神を信仰しています。これは、今、結構日本人のなかでも常識なのではないでしょうか。池上彰さんの授業でも度々、この事実については触れておりましす。

そもそもキリストは、古代ローマ帝国に生まれ、西暦(現在2020年)はイエスが誕生した時から、今までということになっておりますが、実際は結構、ズレがあって生まれは紀元前4世紀とも言われているそうです。

このイエスには、伝承があり「パッション」という映画がかなり忠実に、当時の様子を再現しています。ご興味がある人は是非、見てみてください。

いわゆるゴルゴタの丘で十字架に磔にされたというあれです。

まあこの辺は、キリスト教徒の認識もまちまちです。何故、神の子であるイエスが「無実の罪」で刑に処せられたのか。それには、人間の「原罪」が関わっているという話もありますが。ここの話は省きます。いわゆる旧約聖書の「エデンの園」のお話です。

やがてイエスの弟子であったペトロとパウロの殉教からキリスト教徒が始まったのです。キリスト教の使途が殉教に出かけて行く先々で迫害にあい、それでもキリスト教は信者を増やしていきました。

313年にローマ皇帝コンスタンティノースにより、キリスト教が公認され、394年にテシオドス1世の時に、初めてキリスト教は国教になったのです。

このようなキリスト教の歴史のお話は、極力省きますが、詳しくは「キリスト教の歴史」小田垣雅也をご一読ください。非常に読みやすく、キリスト教の歴史がわかります。

キリスト教にとって、イエスキリストは受難を受け入れた神の子なのです。


旧約聖書と新約聖書

キリスト教徒には経典があります。旧約聖書新約聖書です。

旧約と新約というのは、神との契約の時代の古いか、新しいかの意味です。

キリスト教もユダヤ教も、そして一番遅くにできたイスラム教も考え方は同じです。

一神教と言われるこの3つの宗教は、神が世界を創造し、人間を創ったという考え方では一致しています。人間は神によって生み出され、神は人間を守っているのです。人類はそれもわからず暴走するので、神が身遣いを地上に送り、人間はその身遣いを介して神の啓示を聞くのです。そして助かるか助からないかは人間次第なのです。

このように同じ神を信仰しているユダヤ教とキリスト教とイスラム教の違いは、次の通りです、

ユダヤ教徒にとっては旧約聖書がすべてであり、基本的には新約聖書は信用していない。

キリスト教徒にとって旧約聖書は古代の神との契約書。新約聖書が新しい神との契約書

・イスラム教徒にとっては旧約聖書は、古代の神との契約書であり、新約聖書に信憑性はなく、ムハンマドが説いた教えである「コーラン」が最新の神との契約書

こういった違いなのです。ですから旧約聖書が古代に交わされた神との契約書だと言うことは、どの宗教も認めるところなのです。

 

すべては、神の「創世記」から世界は始まった~人類の「原罪」について

 

旧約聖書には「創世記」があり、神が6日で世界を創ったとされています。世界は6日で天地創造され、7日目に休まれ、この日が祝福された日となり、ユダヤ教徒にとってユダヤ暦で7日目にあたる土曜日を安息日としています。

それで問題は、神と人間との関係です。「天地創造」の次に「エデンの園」の話になります。神によって創られた人間は、アダムとエヴァ(アダムの肋骨で創られた)でした。神の楽園で幸せに暮らしていた二人ですが、アダムとエヴァは、神との一つの約束事がありました。それは「知識の木の実を食べない」ことです。

しかしエヴァが、蛇にそそのかされて「知恵の木の実」を食べてしまい、アダムもエヴァの勧めで木の実を口にしました。

これによってアダムは神に問い詰められ、アダムはエヴァのせいにして、エヴァは蛇に責任をなすり付け、神は自分に似せて創ったアダムとエヴァを楽園から追放しました。この罪を「原罪」というのです。

そして、この「原罪」を巡って、人類は果てしない苦難の道に迷いこむのです。


神の救済

「原罪」により「エデンの園」である神の国から追われてしまったアダムとエヴァを神は見捨てませんでした。

「エデンの園」を追われた人類は、自らの母胎である大地に根を張って生きることになりました。次の「カインとアベル」の話が、人類の祖であるアダムとエヴァが産んだ子供たちになります。

この地でカインは農耕を営み、アベルは牧畜を営みます。

ここのところは世界史の人類の原初的な農耕民族と狩猟採集社会の民族に対比された話みたいになってますね。

カインとアベルは、神に捧げ物をします。カインは羊の初子を神に捧げ、アベルは農作物を神に捧げるも、神はアベルの捧げ物を気に入り、カインの農作物は受け取りませんでした。嫉妬したカインはアベルを殺害してしまいます。これが人類初の殺人とされています。

神はカインを問いただすも「知りません。私はアベルの管理者なのですか?」と嘘をついたとされ、これが人類の嘘の起源になります。

このように人類は大地からも見放され、この地を追放されます。このように人間は愚かではあるが、神は人間を見捨てません。

先ほども述べましたが、神は人間を救済すべく、地上に神の身遣いを降臨させます。

重要な場面で、神の啓示を報せる「預言者」が必ず現れるというのが一神教の見解です。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教にとっては「預言者」の言葉がすべてなのです。

3つのユダヤ教・キリスト教・イスラム教は、旧約聖書の「預言者」(救済者)を崇拝しています。ただユダヤ教徒にとっては、イエスもムハンマドも「預言者」であるとは言わないのです。

キリスト教徒の特徴

キリスト教徒にとっては、「預言者」の最も重要な人物を神の子であるイエスだと認識しています。

そしてイエスの言葉を記した新約聖書の4つの「福音書」を最も神聖な信仰の聖書としたのです。

キリスト教の特徴として、ユダヤ教には「選民思想」があり、自分たちを唯一神から選ばれた民であると自覚しています。ユダヤは、歴史的な事情でイスラエルの民のみが神から啓示を受けるもので、過去に神から与えられたイスラエル王国の独立が「救世主」の預言によって復活するという考え方であるのに対して、キリスト教は、人類の誰もが神の寵愛を受ける権利があり、人間は神と契約をしているという考え方があります。

終わりに

すごく長くなりますので、2部構成にします。

次の記事で、キリスト教は「ローマ・カトリック教会」が偶像崇拝をめぐって「東方正教」と分かれ、今度は近代に入り「カトリック」は免罪符を売り出し、免罪符を買えば天国へ行くことができると主張。これにマルティン・ルターが反発して西ヨーロッパ各地でプロテスタント」が勃興します。プロテスタントとは反抗の意味です。

「カトリック」

「東方正教」

「プロテスタント」

それぞれの思想信条と、キリスト教の考え方、新約聖書の特徴にスポットを当てて述べていきたいと思います。

キリスト教圏の外国人と友人関係に発展したとき、彼らが何を考えているか。その中心的な考え方は、人類には「原罪」があり、神は地上に「預言者」を遣わして、人類に啓示を行うと言うことが、根本的な考え方です。

ユダヤ教が神の啓示を受けるのは古代イスラエルの民だけ、と言うのに対し、キリスト教については、神は万人に啓示と審判を下す、という考え方なのです。

ちなみにイスラム教はイスラム教で、神が最後に遣わした「預言者」がムハンマドで、その教えである「コーラン」こそが真の教えであるという考え方なのです。

キリスト教徒やキリスト教ではなくてもキリスト圏の外国人に対して、「神なんていない」とか「宗教は悪」などというのは教養のない人間と見做されます。

宗教を信仰してるということは、日本ではどうでもいいか、少し勧誘のしつこい人というイメージがありますが、外国人にとっては真逆なのです。

宗教を信仰をしている人は教養のある人が多い。だから無宗教だと主張するのはいいのですが、明確な論理なく無宗教だと主張する人は無教養であると捉えられてしまうので注意が必要です。


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