外国人の友人に日本文化を紹介するために知っておくべきこと

日本文化

はじめに

海外留学や海外赴任でできた外国の友人が日本文化について教えてほしい、と言ってくることがあると思います。で、外国人から見た場合、彼らは日本人のどんな部分を知りたいか?

みなさまお気づきと思いますが、それは日本人のメンタリティー(精神性)なのです。

近年、外国人の日本文化への関心は軒並み高まっています。われわれがインドに行くときに神秘性を求めたり、ヨーロッパに行くときはその中世文化の異国情緒を求めたりするのと同様、外国人から見た日本文化は、なんだか荘厳で霊験あらたかな精神性を伴ってできているところに強く惹かれているのです。

Cool Japan

クール・ジャパン、日本人からしたら、なんだかそういうものなのか疑問が湧いてきませんか? だって日本人ってマインドが弱くて発言力がない。世間は陰湿で、ネットで誹謗中傷してプロレスラーの女の子が自殺してしまったなんて事件もあった。年間3万人もの自殺者が出ていて、とてもクールなんて……

今の日本人はそんな感じですが、外国人が言いたいのは、伝統的な日本文化から見える日本人の精神性なのです。日本人にも歩んできた歴史というものがありますから、そこから派生して顕れるわれわれの考え方や発想力なのです。

そんな日本文化をわれわれ日本人も、薄々「そのようなものを兼ね備えているかもなあ」とか思う。だけど、それを外国人に説明するとなるとなんだかよくわからない。そんな風に感じたことはありませんか?

日本文化を外国人に伝えるために何を知っておくべきかをここで具体的に示していきたいと思います。難しいことはありません。おおまかにですけど、はっきりと日本文化の良いところをここに簡潔に記していきたいと思います。

日本人の精神性とは何か?

日本文化と一口に言っても、日本の古代・中世・近代にも封建制があり「武士の文化」「公家社会の文化」「農民の文化」「職人の文化」「商人の文化」、あるいは「町人文化」など多種多様な文化があります。日本文化と一口に言っても説明ができません。

とはいえ外国人に日本文化を紹介するときに「日本には文化がない」というのはおかしいですよね。日本人には他国とは違った特殊な文化があることを外国人は期待して質問してきます。そしてもちろん日本人には国民性があり、みんな似たような特徴がちゃんとあります。

日本にも歴史上いろいろな文化があったわけですが、日本を代表する文化として「(禅を含む)仏教精神」「武士道精神」「天皇(スメラヒノミコト)に対する恐れと尊敬の精神」というものがあります。「武士道精神」については、ご先祖様に武士を経験していないという人もいるかもしれませんから、これは多くの日本人が有している代表的な文化といえるでしょう。「仏教文化」と「天皇」に関する文化について、これは日本人の誰もが有するものだといえます。


文化は次の3つを基盤にできている。

「武士道精神」

「天皇(らしきもの)への恐れ」

「(禅を含む)仏教マインド」

武士道精神

「武士の一分」という木村拓哉主演の映画を見たことありますか?

見たことないというという方も何となくイメージは湧いてくると思います。ネタバレになるかもしれませんが、お殿様の毒味役であった下級武士扮する木村拓哉が、毒に当たってしまい盲目になり、木村拓哉を助けとなろうとした愛する妻をある上級武士に手込めにされて復讐をする。このようなあらすじなのですが、そもそも「武士道」とはなんでしょう?

剣術師範が「ひとかどの侍相手に勝負を挑むなど狂気の沙汰だぞ」復讐を誓う盲目の木村拓哉はいいます「武士の一分としか申し上げられない」と。

こういった「武士道」とは何なのか? 有名な著作に外国人へ日本を紹介するために書かれた新渡戸稲造の「武士道」があります。新渡戸稲造は5千円札の肖像になっていますね。そのなかで島国の自然である四季などの風土が日本精神に深く根ざしてその思想信条や生活態度が醸成されたものだと言っています。

武士道なんて言っても解釈は多種多様で、例えば武士の心得を説いた「葉隠」や武田信玄の甲斐国の武士の指南書・歴史書である「甲陽軍艦」でも武士の解釈は違います。

外国人に「武士道」とは何か、なんて今の日本人か説くことは難しいですよね。ただ、何となく「散り際の美学」とか「いさぎよく引き下がる」とか言われると、何となくそういったものがわれわれ日本人の美徳として残っていることが何となくイメージできると思います。武士道を説明するときに「気高さ」と「儚さ」「生真面目さ」に集約されると思います(まあ専門家から異論が出るかもしれませんが)。

ですから外国人に日本の「武士道」を説明する時に、このように言ったらどうでしょう?

「日本人は『Serious』(極めて現実に即している様)であり『impermanentbeauty』(儚く美しいこと)を大切にしていて、それが日本人の『Noble Mind』(気高さ)に通じている。これが『武士道』であって、われわれのMindを形成している」

(禅を含む)仏教精神

さて、外国人の多くが最も興味を引く話題「禅」についてです。大きな括りで「仏教精神」です。古来6世紀半ばに仏教文化が中国から伝来しました。当時は日本の政治体制の確立期で鎮護国家、国を守る意味に於いて仏教が伝来しました。仏教を日本に受け入れるかそうでないかで蘇我氏と物部氏の争い、飛鳥時代には本格的に仏教を中心とした国作りが始まりました。

外国人が知りたいのは、その精神性であります。「禅」に見られるように「詫び寂び」「瞑想」「心を落ち着かせて心を統一」するなどの精神を養う「道」として日本人は仏教精神を取り入れてきました。この「仏教マインド」も「武士道」同様、人生の「道」に通じているのです。

日本仏教は初め、国を守る国策として取り入れられ、数々の偉いお坊さん・高僧が中国人の訳した経典を基に思想を築き上げていった文化なのです。奈良時代には「法相宗」「華厳宗」「律宗」など6つの宗派が伝来し、平安時代には最澄と空海が出現し、最澄が開いた「天台宗」の流れから鎌倉仏教が生まれました。栄西・道元・日蓮・親鸞・一遍がその代表になります。

時代時代で、仏教は民衆の「苦しみ」に寄り添うことになり、日本人の精神に深く根付くようになりました。教えは、このお坊さんたちの思想によるところが大きいのですが、仏教は日本人のマインドと言って良いでしょう。

外国人の興味を引く「禅」は中国から伝来したものですが、日本人の「禅宗」の祖となるのが栄西です。そして、その弟子の道元が「曹洞宗」という新しい宗派を立ち上げました。「禅」の精神は「武道」「武士道」「茶道」「華道」「弓道」などに取り入れられ一つの「道」を説く流派として発展しました。

「禅」の思想の中心は「心のありよう」に集約されると思います。

栄西は「問答形式」により、教えを説く「心の妙」「物事の妙」「一筋縄ではいかない世間の妙」を仏教の思想でもって教示する方法を取り入れ、道元はまず座って心を落ち着かせ(只管打座)、心を整えて物事を俯瞰する方法を取りました。

「禅」を一言で言うのは難しいですが、世の中の複雑な状況に耐えるためのマインドを鍛えることを「禅」は説き、その心のありようが日本人の「道」として深く浸透した教えになったのです。

仏教を一言で「こうだ」ということはできません。「外国人の日本仏教に関する外観」と「日本人の仏教に対する内観」とはズレがあるのは確かです。とはいえ外国人が感じている仏教の壮大さ・荘厳さなど外国人が仏教に感じている宇宙観と日本人の抱いている仏教のイメージは相通じるところはちゃんとあるのです。

外国人に「仏教」を説明する場合、

「壮大な宇宙」と精神は繋がっていて、仏教ではそれを空に見立てて「空」と呼んだ。仏教は精神と宇宙の壮大さを教えてくれるのが一点。

それから歴史的に西洋人がキリスト教精神を基盤としているのと同じで、日本人の仏教が道徳感を形成しているのがもう一点

もう一つは「死」に関しての哲学を仏教は有しているのが最後の一点

この3つの説明を簡潔に複雑にならないように説明すれば、外国人はそのマインドについて理解することでしょう。


「天皇(スメラヒノミコト)に対する恐れと尊敬の精神」

外国人に日本の文化を紹介するときに、欠かせないのが「天皇」の存在についてです。天皇とは何か、という話題はとてもナイーブな話題ですので、あまり過激なことは言えませんが(菊タブー)、日本人の心を語る上で「天皇」というのは欠かせない存在なのです。

外国人に日本を紹介するときに「日本の皇室」について簡単にでも説明してみてください。どのように説明するか? 難しいですよね。外国人が期待しているのは「禅」などの霊性とか荘厳な文化形態の説明ですが、日本文化を伝えるときには簡潔に次のようなことをサラッというのがいいでしょう。神道についてまで切り込んでいう必要はありません。

「日本には少なくとも1500年継続して続いている皇室がある。王族が年続くなんて他の世界見渡しても日本だけだぜ。天皇は我々日本人の精神の主柱なんだよ。ヨーロッパでこんなに長く続いた王室はあるかい? ハプスブルグ家だってせいぜい650年くらいだろう? イギリス王室なんて最近できたんだろ?」

外国人からしたらあまりピンとこないかもしれませんが、これは日本人にとってとても重要な事実なのです。滅ぼされずに王室が1500年以上も続くということは世界的に見て大きな意味があるのです。

では、われわれ日本人の精神性に根ざしている天皇という存在とは一体なんでしょう? みなさんはどう思いますか?

ここを見られているみなさんは、社会人として働いている人はほとんどだと思います。社会人の方は日々の業務に追われる毎日を送っておられると思います。働いていて普段日本人のメンタリティーなんてことを感じることはないとおもいますが、例えばいつもオフィスで使っている机や椅子、それからいつも乗っているフォークリフトなど。こういった物について、それがどのような物であるか考えたことありませんか?

机椅子にしろ、フォークリフトにせよ、日本人にとって、それは「恐れ多くも会社=上」のものなのです。「上」とは「神」、延いては「天皇」にあたる。こういうと突拍子もなく聞こえるかもしれませんが、よく考えてみてください。外国人からすればこのように物に恐れを抱くことはあまりありません。物は物であり、それは物以外の何物でもないのです。日本人は「物に恐れを抱きます」。会社の物は、恐れ多くも会社のものなのです。例えば机や椅子を破損させてしまった場合、外国人ならそれは単に物を破壊させたという以外のことはないのです。日本人の場合は、物は「人の物」「会社の物」「みんなの物」なのです。それを破損させてしまったことに責任を感じます。外国人はこのような感情を抱くことはほぼありません。

この物に対する「恐れ」は何を意味するのでしょう?

国史啓蒙家の小名木善行さんが言っておられました、古代日本のことをわれわれはこう呼びました「シラス」国。「シラス」とは「知らす」=「民に(豊穣を)知らす」これが訛って「スメラ」となりこれが「皇」と書きます。「スメラヒ」が「天皇」になります。日本人には「皇室」との信頼関係が古代に築かれ、これが現代日本人の心にもあると言います。

単に「天皇」は神代から続く万世一系の皇族という意味にとどまらず、古代から民の中に「みんなのことを思う」「公的な物事に対する恐れ」という感情が備わっていて、それは「天皇」と「民」との関係になっているというのです。

みなさんは「そういえば物に対する恐れって自分の中にあるな」と思った方もいると思います。この例から「天皇陛下」を思い浮かべることは難しいと思いますが、少なくとも日本人の中に何かが植わっているということは隠しようもない事実であるのです。そこをすこし頭に入れて外国人に説明すると良いと思います。ただ説明が難しいので、外国人には「あなた方の心にキリストやムハンマドがいるように、日本人の中にも精神的な支えがあり、それが何かはわからないが、恐らく『天皇』に結びついている」といえば外国人の多くは理解することでしょう。

日本人の大半は無宗教か?

2019年の調査で、日本人の中で宗教を信仰している人の割合は約36%だそうです。

つまり60%以上の人が無宗教だという自覚があるそうです。

これは恐らく江戸時代に檀家制度ができて、日本人の大多数がお寺に属して、お葬式や法事などのは自分のお寺を介してやるというのが一般的だったのが、近代から現代にいたって、国民の生活が安定していった結果、困ったことは信仰やお寺に頼らずとも生活に何ら支障がなくなったことが宗教離れの要因なのではないでしょうか?

宗教は安定的な暮らしと人同士の繋がりに欠かせない公的機関だったのが、頼らずともやっていけることで、宗教を信仰する意義が見いだせなくなった。そういうことではないでしょうか?

だけど、宗教的な意味あいって、精神的な苦しみを和らげるだけのものではありません。

西洋のキリスト教やユダヤ教、それから中東やアフリカにイスラム教、インドのヒンドゥー教など、日本以外で宗教は精神的な自我を保つための基盤になっているのです。

現代日本人て、元来あった精神的基礎を今、根底に抱えているのでしょうか?

そういったものって、蔑(ないがし)ろになってないですか?

おわりに

現代の日本人が、古代のもっと以前から培ってきた精神文化がある種の人たちからごっそり抜け落ちてしまっています。

精神的な基盤って言われても、そんな抽象的なものあるのって思いますよね。

僕はあると思います。宗教は、ある種の人間が行動する際の指針なのです。

日本人は確かに、宗教的な基盤を今でも無意識に抱えてます。ただ、それを意識していないだけで「仏教的なマインド」「武士道精神」「天皇」はわれわれの根本的な精神性なのです。

キリスト教圏やイスラム教の人たちには、この精神的な基盤が有り、彼らもそれをちゃんと意識しています。意識することによって、自分が何者なのか、という問いにも答えられます。

日本人って「根無し草」になっていませんか?

無意識にある基盤を、意識できずに、行動をする際の、あるいは倫理的な判断をする際の指針がありません。日本人はもう少し謙虚になって自分の根底にあるものをみなおさなければならないと僕は思います。


タイトルとURLをコピーしました