コミュ障のための3選〜社会的な複雑性の縮減メカニズム

現代社会

はじめに

コミニュケーションて難しいですよね^_^

斯く言う私も昔から口下手で、話を順序立てて相手に説明できなくて、何度も伝えたいことが伝わらなかった、なんて嘆いてきました。

伝えるってことは難しいですが、僕は自分を主張するってことを途中から諦めて、聞き役に徹するようになりました。生まれてずいぶん早い段階から聞き役に回ることが多かった。プロフィールに書いてあるように、1時間2時間話を聞かされるなんてザラです。昔から同じこと何度も繰り返す人の話を何時間も聞かされてきました。

おもしろいもので、こういう守勢に回る性格のためにインプットだけはかなりの量行ったと思います^_^

村上春樹さんの小説のなかに「みんな僕に話をしたがった」みたいな話あったと思います。ちょっとその小説の描写を見つけられなかったですが、「1973年のピンボール」という初期の小説にもこんな描写がありました^_^

見知らぬ土地の話を聞くのが病的に好きだった。

一時期、十年も昔のことだが、手あたり次第にまわりの人間をつかまえては生まれ故郷や育った土地の話を聞いてまわったことがある。他人の話を進んで聞くというタイプの人間が極端に不足していた時代であったらしく、誰も彼もが親切にそして熱心に語ってくれた。見ず知らずの人間が何処かで僕の噂を聞きつけ、わざわざ話しにやって来たりもした。

「1973年のピンボール」より

他の小説にも書かれていたと思いますが、みんな何かを伝えたがっていて、話は語られたがっている、みたいなニュアンスの描写です。

僕もなんとなくこの気持ちわかるんです。とにかく、人は僕の顔を見ると話をしたがった、と思います。何時間か話したあと、そういう人たちは僕の元からみんな去っていきました。

向こうからしたら仲良くなりたい訳じゃないんですね。彼らはみんな話したがっていて、まるでゴミ箱に必要にゴミを入れていくような感覚じゃないでしょうか? 僕の顔のどこかに「他人の話し聞きます」てきっと書いてあるんでしょう。みんな僕に一度きり何時間も話をして去っていくのです。二度目に話を聞こうとすると怪訝な顔をみんなします。不思議なもので。

そんな感じで僕は僕で、ものすごい量のインプットを抱えていって、いつからか何か書くようになりました。下手な小説もずいぶん書きました。今読み返すと、そうとう酷い文章だったのですが、最近はかなり文章力が上がったと自負しております^_^

さて、コミュ障という言葉がよく語られる昨今、コミュ障について考えてみました。

コミニュケーションて上手く話せる人のことなの?

コミュ障というか、伝えたいことを人に伝えるって非常に難しくて、誰がそんなに順序立てて話せる人がいますか?

思うに、8割の人は話すことが難しいと感じているのではないでしょうか?

そしてそんな人たちでもコミュ障ではない社交的な人もたくさんいると思います。そういう人たちって別に話うまくなくても人とうまく付き合えちゃうんですよね。

どうしてでしょう?


話上手な人、コミュ障ではない人とは

相づちを打つのが上手い

自虐的な要素がある

インプットとアウトプットのバランスが絶妙

 

相づちを打つのが上手い

話上手な人というのは、話を順序立ててできる人のことではないのです。話上手な人というのは、相手の話していることを瞬時に理解して、それに合わせて相づちを打ったり、話し手の言ったことを繰り返していっているような人のことだと思います。

話し手は相手の理解を求めているのです。相づちや繰り返して言うということは「ああ、わかったんだな」という確認のサインであり、話し手にとっては、理解してくれたことによる感じるカタルシス(浄化作用)なのです。

相づちがうまい人が話をすると、相手に呼応したことを話します。これが話し上手な人と言えます。何故なら話し手からの印象がよいからです。


自虐的な要素がある

一対一で話している時、相手は無意識にあなたが客観的であるかを観察しています。客観的な人はコミュ障とはみられません。コミュ障の人は基本、反応が薄くて塩対応の人を言います。話していてもなんだが、元気がなくて何考えているのかわからない、そんな人をコミュ障というのです。

テレビに出ているお笑いタレントは、非常に自虐ネタを多用します。世間からみたらブサイクだったり、そういう人が元気よく自虐ネタを話したりすると、我々は「この人自分のことよく分かっているんだな」と思いますよね。

まあ自分のことがわかっていて話してくれるのは最低限なのですが、それを笑いに変えるってなかなか難しいと思いますよ。やっぱり芸人というだけあって芸に長けた人ですよね。

まあ自虐的であればなんでもいいということは決してありません。自虐が間違っている場合「ああ、この人やっぱりどこかナルシストっぽいな」と思われてしまいがちです。

自虐的であるとは、自分の欠点をちゃんと世間に示せて、それを語れる潔さなのです。

インプットとアウトプットのバランスが絶妙

コミュ障とはだいたいとっかかりから誰かと話をすることを嫌がります。これはインプットもアウトプットもできていないからです。

インプットとは話を聞いたり、情報が脳の中にたまった状態のことで、情報がインプットされて蓄積されてくると、今度は誰かにそれを話したくなります。

話をし続けると、やっぱり話が尽きてきます。もういいや、話疲れた、こういう状態だと次のインプットが蓄積されるまで、何かを伝えたい衝動にはかられないでしょう。

話を聞いたり、本を読んだり、動画やテレビをみたりして、誰かと話す。または書き物をする。アウトプットに満足したら、インプットをする。その絶妙な繰り返しにより、コミュ障は解消され、人と接することが好きになると思います。

まあ、インドアな人って結構な数いますよね。だけど人はやっぱり人と接して笑ってないと無気力になってきませんか?

僕は今、人と接することが楽しくてしょうがないです。話下手の僕が不惑の歳を迎えて、インプットとアウトプットのうまいバランスが日常で繰り返されて、こうなったのだと思います。

ブログを始めたのも、おもしろいこといっぱいあることを伝えたくて、アウトプットの良い場所を見つけられたと思います^_^

終わり


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